ハ <秋><冬>

  〈秋〉

月   見   立秋を過ぎてもなお残る暑さが残暑。立春から数えて二一〇日目が二百十日。新暦では九月一日、 台風シーズン、丁度稲の開花期にあたる。まだまだ北半球の大地は暑い。

  旧暦の秋は七月から九月、この真ん中に当たる八月一五日が「中秋の名月」この頃に観られる月は澄んだ空に煌々と輝き美しい。

  こわめしと   団子をふかす   にぎやかさ

  こわめしは祭りに出す赤飯、八月十五日は深川八幡の祭日、ふたつの行事が重なって団子屋は大 忙しである。「春花秋月」中国では「仲秋節」日本では八月一五日を「十五夜」芋月見、九月一三 日を「十三夜・後の月」栗月見・豆月見と呼ぶ。江戸ではどちらか片方だけ祝う事を「片見月」と 呼び、縁起が悪いとされた。また、七月二六日は「二十六夜待ち」阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩 薩三尊が二十六夜の月に観られるとあって、湯島天神、九段坂上、愛宕山、高輪等、特に品川の海 辺では屋台村が並び、月の出迄飲食をしながら待機、信仰心から行楽へと形を変えていく。「花よ り団子」の秋バージョンである。

 

月見のお供え物は季節の収穫物と団子や酒。里芋(きぬかつぎ)、枝豆、栗等の作物と一緒に、 ススキや女郎花などの秋の七草も月明りの射す縁側に飾られた。因みに十五夜の団子は餡子で一五 個、十三夜の団子は黄粉で一三個。また江戸の頃、里芋は餅と同じ位置付けをされ、十五夜は芋の 収穫祭としての意味合いもあった。

  十五夜に   ふくべを切って   しかられる

  ここでもおちょこちょいの江戸娘が叱られている。ふくべとは瓢箪のこと。八月十五夜の夜に糸 瓜の茎を切って糸瓜水をしぼると良質の化粧水が得られるという。三馬の「江戸の水」もどきか。

早くしないと糸瓜が無くなると焦った挙句、父親が丹精込めた瓢箪を切ってしまうのである。どの 時代にも憎めない娘達がそこにいた。

紅葉狩・虫聞き

  昼と夜の温度差が大きくなると、広葉樹の葉が色づき始め「紅葉狩」の季節となる。江戸の頃は 下谷の正燈寺、品川の海晏寺が名所であった。どちらも悪所が近い。

  紅葉狩   どっちへ出ても   悪所ばかり   海晏寺   真っ赤な嘘の   つきどころ

建前と本音がここでも交錯している。

  秋のもうひとつの楽しみに「虫聞き」がある。今の都会では虫の音など望むべきもないが、自然 に恵まれていた江戸時代、墨堤、日暮里、飛鳥山等へ鈴虫、松虫の奏でる音(ね)を聞きに行った。 今でも少し離れた海辺の辺りを散策していると、まどろい昼下がり潮風にのってキリギリスやうま おいの鳴声が聞こえてくる。遠い少年時代、虫カゴを持って掴まえにいった夏の情景が想い浮かぶ。 帰りは定版アイスキャンデー、割箸までなめつくす程旨かった。

秋の味覚

  秋は味覚の秋でもある。江戸の料理物語の中に、茄子のレシピは色々あって汁、丸煮、和え物、香の物、しぎ焼、刺身、切り干し、茄子田楽と中々多い。

  「秋茄子は嫁に喰わすな」という。秋口に獲れる茄子は形が小さく味も良い。しかし、余り食べ ると毛髪が抜け、身体が冷えるといわれる。また、「秋なすびは種のなきものなればそれにあやか りて、子が出来まいかと案じ過をする姑の深心(親切)なる心をいえり」としている。江戸の姑殿 は嫁をうとまず、嫁になびかず、我が家の子孫繁栄を願った。そして亭主殿を表向き顕て、息子娘 には厳しく、それでいて家庭を和やかにまとめる器量もそなえていた。良心的に解釈すれば嫁姑の 戦争もなくなる訳であるが、いづれにしても食べる時は、

  秋茄子は   姑の留守に   ばかり喰い となる。一方、秋になると脂がのった秋刀魚や鰯も旨い。秋刀魚は落語「目黒の秋刀魚」で一躍メ ジャーになったが、やはり焼きたての秋刀魚にたっぷりと大根おろしをのせ、濃い口醤油をこれも たっぷりかけ、じゅじゅう音をたててる間にパクつくのが最高だ。殿様でなくとも秋刀魚は脂の のった焼き立てに限る。 「鰯七度洗えば   鯛の味」と云われる様に、鰯も良く洗って臭みを落とせば高級魚となる。尤も 今では値段的に立派な高級魚の地位を占めている。昭和も三〇年代までは路地裏や庭先に七輪を出 し、秋刀魚や鰯を炭火で焼いて、待ちきれなく立ったまま食べている子供達が沢山いた。

  隣の子   をらが内でも   鰯だよ

  この頃になると農家は忙しい。一年丹精した五穀の収穫時である。新米は「初穂」として神前に 供え、また「新蕎麦」も旨い季節となる。まだ実りきらない青みの残る初蕎麦を初物好きな江戸っ 子は我先にたぐった。ここにも珍し物好きな江戸っ子の影がちらつく。そばで見ている女房殿が

 信州信濃の新蕎麦よりも わたしゃあんたのそばがいい

といったかどうか。

  陰陽思想においては偶数は陰、奇数は陽、陽数の極九月九日は「重陽の節句」菊の節句とも呼ぶ。 中国では九という数字は縁起のよい数字とされ一〇に満ちる前の満ち足りた数字と考えられた。縁 起をかついで、前日菊の花に真綿をかぶせ、翌朝朝露を含んだ真綿で顔や体をぬぐうと一年間無病 息災で居られると信じられ、併せて菊の花を浮かべた菊酒も飲まれた。

〈冬〉

べったら市

  旧暦一〇月二〇日は七福神の一人、恵比寿神を祭る「蛭子講」である。家族、奉公人、親類、知 人、取引先迄呼んでの無礼講の宴会が始まる。これがまた来年の商売繁盛に繋がる。今で云う接待ゴルフの類であろうか。しかし江戸人は主だけでなく周りの人達も含め家族皆なで楽しんだ。江戸 時代であっても考え方、生活スタンスは西欧的である。

  五節句の   外にゑびすが   苦労させ

  色々な人を呼んでのもてなしは商家にとって、五節句以外でも大きな散財となる。また、十月は 神無月、八百万の神々が出雲に里帰りする為、他の地域は神様不在、それでは如何なものかという 訳で、一人恵比寿様だけが人間界で留守番をさせられた。

  雲の出る   国をゑびすは   ついに見ず

  今でも一〇月一九、二〇日になると椙森神社や宝田恵比寿神社の周りにべったら漬けの大根を売 る店をはじめ、近くの問屋の掘り出し物、勿論ビール、酎ハイ、あてを売る屋台まで揃って「べっ たら市」は下町日本橋の風物詩になっている。

酉の市

  晩秋一一月に入ると「酉の市」鷲神社のの祭礼。その月に三回酉の日があるとその年は火事が多 く、吉原に異変が生じるという。熊手に宝船、米俵、千両箱と幸運を呼ぶ縁起物が飾られ、買い手 と売り手の値段の駆け引きがはじまる。折り合いがつくと手打ち、買い手はまけて貰った分だけ祝 儀として店においていく。値段の駆け引きは双方のパホーマンスであり、その過程をお互いに楽しむのである。「江戸人」は合点承知の上でやる。「江戸っ子」は先を考えず突っ走る事もある。その 場その場によって人間は変わるから一慨には何が良いかは解らない。

  この熊手、一年間店の目立つ所に飾られ千客万来をかき込んでくれるから安いものだ。酉の市は 本来、近在の農家が秋の収穫を祝い、来年の豊穣を願って鶏を神社に奉物した。お返しに授かる物 が熊手、これで来年の福をかきこみなさいと、神様からの激励の品である。

煤払い

  お酉様が終わると江戸はいよいよ年末、江戸時代、一二月一三日は「煤払い」江戸城中の年中行 事であったものが次第に市中に広まっていった行事である。薪を主な燃料としていた時代、燃やし た煙の煤は家中に溜まった。一年間の罪、穢れを祓い清浄な体で歳神を迎える行事として大掃除が いっせいに行われ、一年に溜まったゴミや埃の量に改めて感心したりする時期でもある。

  銭、金が   こふたまればと   十三日

  いつの世も枯葉の吹き溜まりの様に金は貯まってくれない。少しゆとりが出来ると待ってたかの 様にとんでいく。右から左へと動くのが庶民の財布の中身である。

  もう少し   ゆっくりせいよ   金子殿   これ小判   たった一ト晩   居てくれろ

  煤払いが終わると、家族中代わる代わる胴上げが始まる。一番の標的は下女、

  ひんまくれ   杯(など)と番頭   声をかけ

  奉公人男集団の年末最大のイベントとなる。また、日頃小生意気な手代等は、捕まり三回目辺り でわざと手を抜かれて落下。こちらも奉公人達の楽しみのひとつである。胴上げの後は鯨汁のつい た御膳でこの日はお開きとなる。

  立冬から小雪、大雪が過ぎ、昼の一番短い冬至辺りまでに吹く寒い風を「木枯らし・凩」と呼ぶ。 気圧配置が冬型の「西高東低」となり、大陸から秒速八m以上の冷たい風が吹き始める。江戸は急 に冬支度となりせわしさが増し、正月に向けての「歳の市」が始まる。正月用の飾り物や縁起物、 道具類を店いっぱいに拡げ凩の中お客を待つ。一二月一四日の深川八幡に始まり、浅草観音、神田 明神、芝神明、二七~二九日の薬研堀不動尊は収めの歳の市だ。

  暮れも押し迫ってくると正月の餅搗きが始まり、大店では出入りの仕事師が、庶民は菓子屋や引 摺餅屋に頼む。長屋の住民には大家が一年分の汲み取り代金から餅が配られ、何とか正月のかっこ がつくのが長屋の年末風景、亭主殿も一安心である。

  年の暮れ   用もないのに   駆け巡る

  気ぜわしい毎日が続く年の瀬になる。   現代では半分死語的になった言葉に「数え日」がある。年末までの残りの日を数える事を意味し、特に二十日過ぎを指す場合が多い。借金やつけで買った品物の代金、借りている物の返済、また、 逆に貸した金品の回収等、全て年内に段取りするつもりの為、女房はついつい亭主に小言を飛ばす。

  「あといく日だよ」 云った処で始まらない。相手も人間、敵もさる者ひっかく者、回収はちったぁこったぁの努力では 収まらない。最後までのバトルが続く。

  いよいよ明日は晦日、明後日は大晦日(おおつごもり)になると、盆暮勘定が多かった江戸の商 人達は商いそっちのけで掛取に走り回る。対し、金が無い江戸っ子達は掛取がきても、一生懸命言 い訳するか、逃げ回るか、仮病を使うかで、徹底的に払わない。やがて一番鶏の声が聞こえても、 気を緩めず返さないものは返さないと決めてくる。いつの間にか反転し返すべきものを、返さない と心に決めにかかってくる。この徹底さが江戸っ子達には大事だと云う。現代の東京っ子達にはそ んな芸当は出来ない。

  元旦の   鳥が啼くのに   後に来な

  かくして元旦の朝から江戸っ子達の騒々しい活躍がまた始まる。

江戸純情派「チーム江戸」

ようこそ 江戸純情派「チーム江戸」へ。

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