江戸物語88<地之巻>第1章 あの町この町江戸の町、はじめに
気が短くて口が悪い。これが江戸っ子の通り相場であるが、こうした心のすみっこに優しさや誠実さを抱いているのも江戸っ子である。それ素直に出せなくて、やたら格好つけたり、言葉でごまかしたりして、その気持ちを表現したのものも、粋や気質といわれる美意識のひとつの側面だと思われる。「粋」とは野暮の反対語、気質、容姿、身なり等が洗練されていて、洒落た色気があることをいい、漢字で書けば粋、もともとは「意気」であった。粋でないと異性に歓心を抱かせないひとつの例として、享保年間の遊女、東路は「見ても聞いても嫌な客は嫌な客でありんす、逆に気配や様子で忘れられない程、惚れてしまうお客もありんす」と述べている。この微妙でファージィな美意識が粋、何処で線を引くか惚れる本人も理解出来ないが、何故か何処かで惚れてしまう結果となる。「気質」とは身分、職業、年齢、民族などに特有の、気風、性質を意味する。従ってこの評価の仕方もそれぞれ異なってくるのは当然で、あちらでモテたのにこちらではサッパリという悲しい事になる。こうした男女の微妙な駆け引きからぐっとひいて、相対的な人間関係をとってみても、江戸時代は、ぶっきらぼうでつっけどんのくせに、他人様には自然的な優しさ、気風を持ち合わせていた人間が沢山いた。こうした人々は現代の電卓的人類とは異なり、自分より立場的に弱い人間がいると、基本的に銭勘定抜きのお節介やきであり、ユトリストでもあった。なんでも知っている貴重な存在として年入(年老)を大事にし、その頃火事や災害の度に増えた迷子や捨子達には、その子達を保護した町の人々が、金のある人は金を出し、力のある人は物を作り、時間のある人は面倒をみて、自立する十ニ歳頃まで、無理なく面倒をみて育てた。私立町協同体の福祉団体であった。こうして育てられた子供達は大きくなると、同じように心にゆとりを持ち合わせた、人情味のある人間に成長していった。
反面、江戸の人口約50~60万、いろいろな人たちが生活していた。江戸見立番付「浮世人情合」に出てくる人々にも人間臭い人々があふれていて面白い。例えばケチな人の例とて「西瓜の皮を漬物にする」 西瓜の白身の部分を捨てないで漬物にすると瓜と変わらぬ味となり節約できた。重い漬物石で漬けた瓜や茄子は、歯ごたえがあって旨い。「塩辛い田舎味噌に割り飯」割り飯とは麦や雑穀の混じった糧米、白米が常識の江戸の食生活においては侘しい食事となるが、江戸患い・脚気の予防には最適のレシピであったが、塩分とりすぎで高血圧の予備軍となる恐れもある。「うさぎ年中おからのおかず」兎が大好き?なおからを戦後しばらくの昭和の時代豆腐と一緒に買ってきて、人参やひじきと一緒に調理して植物性蛋白質、ビタミン、ミネラル等を摂取、栄養のバランスをとった記憶がある。エコ&ヘルシーな食生活があった。「唐辛子すき おかずいらず」現代も豆板醤や、激辛キムチの好きな人達は沢山いる。辛い物を食べると発汗作用や血液の循環が良くなって肌がきれいになるが、喉が乾いて夜中に目が覚めたり、麻酔の効きが悪くなる場合もある。「トウナス、さつま芋を大量に買い込む人」トウナスとは瓢箪型をした南瓜、ボウブラともいう。長く保存できる南瓜や芋をまとめ買いする人達をケチだという。大量購入すれば単価は安くなる。これは経済の原則である。それについてうんちく的批判を述べるのは、それを購入する宵越しの銭を持たないか、裏をかえせば銭のない江戸っ子達が、それを保管する場所のないとかで、勝手な理由をつけているからである。自分が出来ないものを人がすると、その人を批判するのは世の中の常であるが、江戸の頃もそうであった様である。風水害や巨大地震が危惧されている現代、「備蓄」は「美徳」である。気持ちにゆとりのある人々、将来に備えて考える人々をざぁとひっくくてみてきた。火元よし 元気よし ボケもよし、って事で旅は道連れ 世は情け 情けいっぱい江戸の粋と人情の町、江戸の町にそろそろお出掛けしよう。
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