ホ 蕎麦
さて酒を飲むスタンスにも関西と関東では違いがみられる。関西は料理を旨く食べる為の酒、料 理が主役であるのに対し、関東では酒を旨く飲む為の料理、つまり肴はアテ、あくまでも酒が主役の世界である。「蕎麦」を食べる前に蕎麦味噌や焼き海苔を肴に酒を飲む。蕎麦屋で出される酒は 割らない酒であった為このアテで充分であった。
蕎麦の原産地は中央アジアの山間部、寒冷地の盆地状の土地が栽培に適する。土地柄が豊潤でな い、むしろやせた土地で自然的に成育したものが味がいい。種を植えてから七五日で白い花が咲き 実が獲れる。
元禄時代、金銀の細工師東金屋は、毎月末日仕事場に散らかった金粉を回収するのに蕎麦の団子 を使用した。これを鍋で煮て食べる。ここから金が集まる蕎麦は縁起がいいと云う事で、毎年おお つごもりには細く長くと云う願いも込められて蕎麦を食べる様になった云う。関東では「年越し蕎 麦」、関西では「つごもり蕎麦」と呼ばれる。
蕎麦の旨い条件は、歯切れがいい、コシがある、香りがいいとされ、江戸は蕎麦、関西では饂飩 が多く食べられている。守貞漫稿によれば「今世江戸の蕎麦屋大略毎町一戸あり、不繁盛の地にて も四 ・ 五町に一戸也」吉宗の時代には一町約三五〇人の住民に対し一軒の店があったと云うから、 江戸っ子にいかに愛されていたかが解る。因みにその頃の調味料は陳皮(蜜柑の皮を乾したもの) や大根下ろしに七味、葱を入れるのは田舎者とされ、葱を使うのは明治以降であり、また、そばが きから現在の様に細いそばきりになったのは寛文(一六六〇~)の頃からである。
それまでの団子から、細かく刻んで食べやすくなったそば切りを汁にちこっとつけてザクザクと 喰うのが通だとされる。しかし関西の人間にいわせると江戸の蕎麦は「醤油を飲んでいるようで、 汁なんかよう飲めませんわ」とくる。さらに「醤油の出汁で青臭い粉を食べているよなもんですわ」とさんざんである。かたや江戸っ子は「もり」が基本、丼に入った蕎麦は田舎蕎麦、馬方蕎麦 と言って馬鹿にする。双方にそれぞれの言い分があって面白い。
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