ハ 江戸のファーストフード

さて、現在でも通じる感覚であろうが、「江戸の食事作法」として料理は作った時間で食べろと云われる。さぁっと作ったらさぁっと食べろ、手間かけて作った物は手間かけて食べろと云われた。 食べる物にお金を払う、寄席の様に席料は払ってないからさぁっと食べてさぁっと帰る。江戸の食 にこだわる「通」は野暮な長尻はしないとされた。しかし、家族連れやましてやっとのデート日等 には、通の達人の様にはいかないのが人情、人の子である。

  元禄年間頃から、一日の食事回数が二回から朝、昼、晩の三回となり、府内では麦等を入れた糧 米や玄米から白米を食べるようになる。白米の常食化によりビタミン B1 欠乏症の脚気となる人が増 加。奉公にきた子達が田舎へ帰ると治癒、故にこの病気を「江戸患い」と呼ぶ。浅草寺境内では奈 良茶漬けが売り出されたりして外食が習慣化されたのもこの時期であった。

  江戸が一番江戸らしかった文化文政の時期、色々なレシピが考案され新メニューが次々と出廻っ た。江戸の「四大ファースト」と呼ばれた、①握り鮨、②蕎麦、③天麩羅、④鰻の蒲焼、を売る屋 台から店構えに移行する業者も多くなり、文化元年(一八〇四)には約六二〇〇軒の食べ物屋が軒 を連ね、大田蜀山人は「五歩に一樽、十歩に一閣、みな飲食の店」と述べている。また、滝沢馬琴 は江戸が勝っているものとして、飲み水、鰻、江戸料理を挙げている。

江戸純情派「チーム江戸」

ようこそ 江戸純情派「チーム江戸」へ。

0コメント

  • 1000 / 1000