ロ 初鰹
江戸の頃、家族四人一五両もあれば何とか生活出来た時代、初鰹は一本二両~三両もした。一月 分の生活費をフィにして鰹を買うのである。ただ黙って食べてしまっては自己満足で終わってしま う。買う前、食べる前から大騒ぎする。「もう鰹はあがったかい」「今年は幾ら位かな」完全なるパ ホーマンスである。「棒振り」太助を掴まえて半身か一匹かでまたひと騒ぎ。どっちみち一人で買 えないから、二~三人が寄ってたかって箸と皿と酒徳利持って割くのを待っている。その頃には多 少のギラリーも集まってくる。そいつが狙いだ。ギラリーのいないプレーはつまらない。一切食べ て感動、「これが今年の鰹かぁ。」二切食べて吠え、三切食べてまた騒ぎ出す。それからは感動して 泣きだす奴も出てくる。尤も三切れ以上は出費人数の割算で番が廻ってこないから、このシーンは あまり見られない。宴が終わって練辛子を口の周りにチョイつけ誰か声かけてもらいたくて長屋を ひと廻り、ある種の虚脱感と共に四帖半のねぐらに帰る。
初鰹 家内のこらず 見たばかり
鰹の夏が過ぎ冷たい秋風が吹く時期になると、カミさんは袷を探す。なげなしの袷が行李にない。
去年はあった筈の袷が今年はない。袷は見つからなくてもない訳はすぐ見つかる。この夏宿六が質 に入れて食べてしまった鰹だ。
寒い時 お前 鰹が着られるか
亭主殿はお前に化ける。それ以降宿六はカミさんに完全に敷かれる。江戸っ子のDNA・遺伝子 が現代のおじさん達にめんめんとしっかり受け継がれていく。
時空を超えたGNA,喧嘩の原因になった「鰹」についてもう少し紙面を割こう。江戸っ子の初 物喰いの王者、鰹は鯖科、成魚になると八〇㎝から一mになる青肌の硬骨魚、廻遊性があり早春枕 崎辺りから開聞岳を眺め眺めながら太平洋岸を北上、土佐沖、熊野灘、遠州灘を乗り切り相模灘 (鎌倉)で五月の新緑をむかえる。
目には青葉 山ほととぎす 初鰹 <素堂>
鎌倉を 生きて出でけん 初かつお <芭蕉>
鎌倉沖で獲らえられた初鰹は八艘櫓に移され日本橋の魚河岸を目指して急ぐ。この船を待ってい る初物喰いのもうひとつの集団がいる、近所の河岸から舟をしつらえ待機、八艘櫓に小判一両を投 げ込む。舟の人間も心得たものでポ~ンと鰹一匹投げ返してくる。商談は無言のうちに成立。後は 河岸に戻って食べるだけ、勿論四合徳利冷酒付、舟遊びを兼ねたグルメ日帰りツアーである。
鰹は鎌倉から江戸湾に入る廻船と別れ、房総沖から鹿島灘を北上金華山。三陸沖で寒流にぶつかると一気に南下、脂ののった腹に虫をもつ「戻り鰹」となってUターンしてくる。この時期が値段 も手頃で味もいい。
初鰹 とぶや江戸橋 日本橋 金持ちと 見くびっていく 初鰹 初鰹 そろばんのない 家で買い 目も耳も ただだが口は 高くつき 女郎より まだも鰹と 女房云い
味には甘い、辛い、苦い、塩っぱい、酢っぱいの五味がある。この他に食の味として欠かせない 「旨味」がある。脂がのってない、のってないからこそ鰹節に向く鰹を獲っている枕崎、土佐は鰹 節の産地である。小ぶりの鰹を二本にした物が「亀節」、二 ・ 五㎏以上の鰹を三枚におろし、血合 いで四本に切り分け製品にした物を「本節」と云う。背側を雄節、背節、腹側を雌節、腹節と呼ぶ。 関東はこの鰹節でだしを取り、濃口醤油でかえす。関西では昆布でだしをとり、薄口醤油であっさ りとした味付けをする。江戸の食文化、関西の食文化のちがいがここにある。
0コメント