「平成おくのほそ道一人旅」⑨山寺
紅花は山形県の県花、江戸の頃は口紅、頬紅の材料として高値で取引され、藩の財政をおおいにうるおした.
「眉はきて 俤にして 紅粉のはな」
ベニバナの花の色は黄色、花を摘んですぐに水にさらして乾燥させる、これを何度も繰り返す事によって紅色になっていく。花の色素構成は水に溶けやすい紅の色素が99%、水に溶けにくいカルタミンという紅の色素は1%。故に紅の値段は高い。 江戸の頃は紅色の小旗を掲げた化粧品屋で「小町紅」などという名で売られた。その頃の化粧法はスッピンに紅が基本。江戸後期、口紅を何度も上塗りして唇を玉虫色にみせる化 粧法が流行った。高い紅を何度も塗るゆとりは江戸小町たちにはない。そこで小町たちは考えた「じゃぁ、下地に墨を塗ればいいじゃん」見事大人モードに変身した。 紅花問屋鈴木清風や尾花沢の人々から、山寺の話を聞かされた2人は旧暦5月27日(7/13)花笠音頭に唄われる紅葉の天童を経て「山寺」に到着している。ここを歩くと約70㌔、一行は馬で8時間30分ほどで到着している。スポンサー清風の財力のなせる業である。平成の旅人は先ず、「陸羽東線」堺田から新庄43㌔49分、乗り換えて「奥羽本線」山形迄61,5㌔77分、更に「仙山線」山寺駅14㌔21分、ふたつの乗り換えで約2,5時間、待ち合わせを含めて3時 間の道のり、駅到着16:16 色々どちらも大変な道のりであった。
「山寺」の正式名は宝珠山立石寺。平泉・毛越寺、福島・霊山寺と同じく慈覚大師円仁の開山、東北の比叡山と呼ばれる天台宗の道場である。奥の院を目指し、閉山18時を計算、1015段の階段をジグザグと登る。階段数は多いが杉木立とお地蔵さまが優しく迎えてくれる為かそれほど疲れは感じさせない。山全体が芭蕉も聞いたであろう蟬しぐれ。みんみん蝉?
「閑けさや 岩にしみいる 蝉の声」
蝉塚には蝉の名の記載なし。陽が傾きかけた岩肌の影が、この時間ならではの静寂の風景、時間に追われない旅、これが芭蕉と共通した18きっぷの醍醐味であろうか。次は最上川下りから酒田、象潟と、またまた魅力ある歌枕が「みちのく」で待っている。
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