「平成おくのほそ道一人旅」⑧封人の家・銀山温泉

 元禄2年(1689)5月15日、芭蕉は曾良を伴って仙台領「尿前の関」を越え、出羽の国へと急ぐが生憎の梅雨時の大雨の為、17日まで2泊3日 「封人の家」に泊まる事になる。封人の家とは国境を守る家の事で、仙台領と国境を接する新庄領堺田村の庄屋の家を指す。代々庄屋を務めた有路家当主は15代目、建物は村役場の性格をもち、さらに問屋や旅籠の機能も備えていた。現在は国の重文の指定をうけ、山形県最上町所有の建造物である。尚、堺田駅は奥羽山脈の分水嶺の上に位置、駅前の水路は東に太平洋、西は日本海へと見事に流れ込んでおり、この看板が車窓より見える様に建てられている。JR東日本も吉永小百合のポスター等頑張っているがな。 

   「蚤虱 馬の尿する 枕もと」 

 芭蕉一行この道中最大の難所は「山刀伐峠」越え。赤倉温泉からスキー場を越え県道最上尾花沢線をゆくと、峠にぶっかる。これを越えると尾花沢。今なら堺田から新庄に抜け奥羽本線大石田までJR、ここからバスで尾花沢のコースをとる。この辺は大正ロマンが漂う銀山温泉が控えている。二人は主人から案内のの若者をつけてもらい、尾花沢の鈴木清風を訪ねている。一行が雨でのロスを稼ぐため、峠越えを急いだのは紅花の開花の時期、夏至から11日目の半夏至(陽暦7月2日)を逃したくなかったからだといわれる。 

江戸純情派「チーム江戸」

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