「平成おくのほそ道一人旅」⑦衣川から鳴子温泉

 中尊寺からJR平泉駅に戻る道に、幹線の1本左側の途がある。この途を4~5分走ると左側に小高い丘があり、その階段を上っていくと義経、弁慶主従が頼朝の圧力に負けた4代泰衡軍と戦って敗れた高館がある。丘の頂きに建つ義経堂は天和3年(1683)伊達綱村が建立、衣川を望み眼下には北上川が流れている。「衣川の戦い」は文治5年(1189)、義経31歳、3代秀衡が自分の子より後継を義経と託した企みが、結果的に我が子泰衡に裏切られる事になった。義経はここより逃れ大陸に渡り、元の皇帝ジンギスハーンになったとか。

   「国破山川在 城春草木深」 杜甫 「春望」 

 功名一時の叢となった 高館に上った芭蕉は、一瞬の栄華と滅びゆく虚しさを恒間みたのであろうか。杜甫との対話として「夏草や 兵どもが 夢の跡と詠んでいる。 新渡戸稲造訳 「The summergras‘Tis all that‘s left of ancient wamiors‘s drem」この句の碑は「毛越寺」南大門跡脇に建っている。

 ここ 「高館」から夕映えの北上川の眺めは歴史浪漫をときめかすには最高のロケーション、帰りたくなくなるスポットである。ハイここでお勉強。北上川は東北最大の川、伊達藩は ①治水、水路の整備 ②流域の新田開発のため治水事業に取り組み、収穫した米を水路を使って川 下へ集め、河村瑞賢が開発した東廻り航路を使って、江戸仙台堀の蔵屋敷へ廻米した。因みに江戸で消費される米の1/3の約20万石は仙台米と云われ、仙台米の出来具合が江戸の米相場を左右した。「高館」からさらに駅に向かうと3代秀衡が建立した「無量光院」跡がある。宏大な池の周りにはこれも極楽浄土を夢見た伽藍が建ち並んだ。背景に金鶏山が望まれた寺院跡は全域が特別史跡指定、現在は発掘調査が進められている。以上でチャリによる「世界遺産・平泉」完全?制覇。持ち時間をピッタシ使いこなして駅前レンタへ返却、おじさんにお疲れさまのおしぼりをもらって 一関、小牛田と乗り換えて今宵も2泊めの広瀬川通り のホテルへ帰んべぇか、金麦と牛タン弁当がいいか。

 第3日目。今日も朝から快晴そのもの。ホテルの朝食をパクつき、おみやにゆで玉子ひとつ頂いて。こいつが旨いのだ、車中でチロッと正油をたらして食べるとね。本日のコースは「陸羽東線(おくのほそ道 湯けむりライン JRさんもなかなか粋なネーミングをつけるもんで、因みに西線は(最上川ライン)。で仙台から小牛田で乗り換え鳴子温泉駅で下車、駅観光案内所でパンフレット及び必要な情報を頂き、駅より国道沿いを歩いて約30分、中谷橋畔近くの「尿前の関」 に着く。杉木立に囲まれた街道に関跡の門柱が建つ。平泉から一関に戻った芭蕉と曾良は 、岩出山から鳴子尿前の関を越え、出羽の国堺田へ向かっている。「出羽の国に越えんとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて漸として」 関所を越えている。隠密と間違えられたかな。この先街道を進むと、秋の紅葉が素晴らしい「鳴子峡」から中山平温泉駅へと続く。平成の旅人はもときた道をとって返し、お馴染み町営「滝の湯」¥150へドボン。お盆休暇中の為満湯盛況、一回転すると2~3人さん、すかさず打たせ湯で凝った頸、肩を癒やせば「やっぱ芭蕉もいいけど、こちらも抜けません」とひとりゴチル。

 


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