「平成おくのほそ道一人旅」⑥毛越寺・光堂

 芭蕉一行が平泉に到着したのが5月13日、三代の栄華一睡のうちにして、大門の跡はこなたにありと記している。平成の旅人が平泉に着いたのは、旅の2日目8月12日 14:00過ぎ。即、駅前レンタチャリ店に飛び込むが本日は朝から利用客が多いため全車出払っている との事で一応予約を入れ、駅より徒歩圏である「毛越寺」に向かう。毛越寺はモウツウジと読む。越は通常オツ、従ってモウオツジがモウツジとなりさらにモウツウジと変化した読み方となった。この寺は慈覚大師円仁が嘉祥3年(850)開山、2代基衡が再興した大池を中心とした金堂 円隆寺をはじめ臨池伽藍と浄土庭園が配され 、「中尊寺」をしのぐ規模で「吾が朝無双」と称されたが当時の堂宇は全て焼失しまっている。

 因みに慈覚大師は唐に留学、その時の留学記はマルコポーロの「東方見聞録」 三蔵法師の「西遊記」と共に世界3大紀行文とされている。レンタチヤリ戻ってるかなと心配しながら駅に急ぎ足。あった、しかも4台も。借りるのは1台だけでぇ。先ほどのおじさん飛び出してきて「さあさあ」 3時間¥500の代金を支払い、足の短さをサドルで調整してもらい、先ずはいつも行ってない「達谷窟毘沙門堂」へ。延暦20年(801)坂上田村麿が蝦夷征伐と戦勝を仏の加護とし、感謝を込めて創建。108体の毘 沙門天を祀った堂は岩屋の中にぶち込んだ様に朱色に建てられ。その傍らの崖には義家が馬上から弓張で彫り付けたと伝えられる磨崖仏「岩面大佛」が鎮座している。この岩屋まで駅から約30分、「ずっと上りですよ」と云われ、少し怖気ついたが、そこは江戸っ子、こんなもんでリタイアは恥とこぎだす。意外チャリの軽さとみちのくの爽やかな凬がサポート、途中からは鼻歌まで出るゆとりで往復、沿道の木々草花を愛でながら、「18きっぷはこんなもんでぇ」と自画自賛。次は定番 「中尊寺」 天台宗東北大本山の寺院、毛越寺と同じく嘉祥3年(850)慈覚大師円仁の創建、初代清衡が造営、藤原氏滅亡の後度重なる火 災によって多くの堂塔が焼失したが 「光堂」 だけが当時のままに残っている。ここへは駅から1,6K、約10分程で月見坂下の駐輪場の着く。杉木立の表参道を登りつめた左側に、鞘堂に収まった「光堂」があり、奥州藤原4代の霊が眠る。

  「五月雨の 降り残してや 光堂」

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