第5章 ①火事と喧嘩は江戸の華
こうして窮屈ながらも、夫婦喧嘩をしながらも、毎日の生活が続けられた江戸の生活も、ひとた び町の片隅に火の手が上がると、基本的に木と紙で造られた江戸の町はひとたまりもなく焼け落ち、 跡に残るのは何もない焼野原であった。俗に「伊勢屋 稲荷に犬の糞、京は地蔵で江戸なら稲荷、火事と喧嘩は江戸の華 そのまた華 は町火消し」と云われる程、江戸には火事が多かった。江戸時代を通し大火と呼ばれる火災は約 九十七回(東京市稿)、約二・七年に一回の割である。小火程度なら毎日何処かで起きていた。紙と木の家に魚油の灯り、へっついの薪、米藁の畳、冬 は北西の凬、春先は代わって南西の凬が吹き荒れ、幼稚な消防設備の御城下は燃えるにまかせた状 況であった。為に、幕府は世帯毎の風呂を禁止して銭湯、その銭湯も凬の強い日は休み、火を使う 鍛冶屋も休み、毎日の炊事にも神経をとがらせた。
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