2 長屋の住人たち

  江戸の町人は、①地主層(表通りに土地をもち、間口五~十間の土蔵造りを構える大商人や棟 梁) ②地借り層(裏通りに土地を借り、間口二~四間の塗 ヌリ 屋造りを建てて住む商人・職人)   ③店 借り層(裏長屋を借りて住む棒振りや職人)に分けられる。さて、その頃の町人地の自治組織は町奉行を頂点として、町年寄三人、名主、家主、大家とくる。 大家さんの数およそ2万人、意外と多い。その大家一人が抱える八っあん、熊さん達長屋の住民はひと長屋20人前後、2万人×20人 =凡そ40万人の庶民が賃貸生活、長屋の住民であった。江戸の縦割り組織の底辺に近い大家の仕 事は、先ず、①家賃の取り立て、②町触れの伝達、③新しい住民の身元確認、④町の管理として自 身番での防犯・防火、等々中々忙しい。

  長屋の住民達を職業的に分類すると、①出職組(大工、左官、屋根葺、棒手振り等は朝五っから 現場)、②居職組(髪結い、飾り職人、桶屋等は四っ頃から部屋を片づけて仕事)、賃金体系は大工、 左官が400~500文/1日、居職組は350文/一日前後であった。店賃の対象が基本的に部 屋の枠組みのみで、建具や畳は「損料屋」から借りるにしても所得に対する400~600文程度 の標準的店賃は1~2日分の労働であった。処が現代では30万弱の月給に対しワンルーム10万 前後、光熱・通信費を入れると半分弱の給料が消える家賃となって無くなる。持てる者、持たざる 者の貧富の差が拡がるのは当然の話である。

  更に詳しく4人家族の「棒振り」の原価計算を見てみよう。600~700文の元手を使い野菜 等を仕入、荒利50%で一日の売上1200~1400文。明日の仕入れ代を残し、女房に生活費 200~300文渡し、子供2人にお菓子代12~13文、銭湯代大人6文、子供4文、間食の 二八蕎麦が16文、手元に100~200文が残るが雨の日、体の具合が悪い日等を考えると使え ない。因みに「棒振り職人」とは、六尺の天秤棒の両脇に商品を入れる駕篭、桶、笊等をぶら下げ、その商品をふれ呼びながら、江戸の市井を路地から路地へと流して売り歩く人間である。魚、野菜、 惣菜等の食料品を始め、灰や蝋の廃品回収、鍋、釜の修理等需要のある処全て商売となった。従っ て住民はその日に必要な物や事だけを注文すれば全て賄え狭い空間でも快適に生活できた。井戸が冷蔵庫、布団は枕屏風の中、風呂は銭湯、衣類は壁に掛け、棚を有効利用して四帖半をめ いっぱい活用した。現在の人々は一生着れない衣類を抱え、余り座りもしないソファを置き、広さ にそぐわない大型テレビを設置、文化生活を営んでいる。高い家賃は人間様の居住空間にではなく、 荷物の為に支払われている。

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