第2章 1 江戸の成立 江戸前島は何処?

 江戸と云う地名は「入江の戸」つまり海が陸地に入り込んだ場所である「江」に面した場所を意 味する。「入江の戸」=江戸と云う表現が具体的にどの辺りを指したかについては、武蔵野台地東 端から千葉県側の下総台地(国府台、市川)にいたる約一四キロの幅をもつ「東京下町低地」と呼 ばれる沖積地がかっての入江の名残であると考えられている。この沖積地は広い意味での利根川が 形成したもので、かっての荒川、江戸川、綾瀬川、旧石神井川等の河口地域にあたる。

  江戸の町を地形的にみると原形=基本は「江戸前島」にある。江戸前島とは氷河期から一万年後、 地球温暖化によってもたらされた「縄文海進」が始まり、現在の関東平野の奥深く栗橋辺りまで海 水が入り込み、その海水によって削り取られ残されたのが、江戸前島「日本橋波蝕台地」である。 中央通りを背骨にして西側は日比谷入江JR線際辺り、東側は楓川、三十間堀辺り、辺りと云う のは潮の干満により海岸線が変化する為である。東西の海岸線は江戸の埋立の歴史の中で埋没して いく事になる訳だが、その先端は標高地図でみていくと元汐留駅=汽笛一声の新橋駅=今風だとシ オサイト辺りであろうか。 本郷台地から神田、日本橋より南西に伸びた舌状の半島で、例えるなら動物園の河馬が、水に潜り脇腹辺りから背中を陽に当てている状態が、江戸前島の姿・形である。 河馬君の背骨の部分が前島の尾根=中央通りである。

江戸純情派「チーム江戸」

ようこそ 江戸純情派「チーム江戸」へ。

0コメント

  • 1000 / 1000