「平成おくのほそ道 一人旅」 ②芭蕉年譜

ここで旅立つ前にさらっと前知識をおさらいすると

 「芭蕉年譜」寛永21年(1644)伊賀上野赤坂に生まれる。寛文12年(1672)江戸に下り、日本橋本小田原町の幕府御用魚問屋鯉屋市兵衛こと門人杉風の屋敷に寄宿、神田上水の仕事に携わる。延宝6年(1678) 俳諧宗匠として立机 「発句也 松尾桃青 宿の春」8年(1680) 深川の草庵に移る、翌年門人李下から芭蕉の株を贈られる。これが庵号・俳号の由来となる。貞享元年(1684)〜5年にかけて「野ざらし紀行」「鹿島紀行」「笈の小文」「更科紀行」の旅に出る。元禄2年(1689)芭蕉庵を人に譲り杉風の採荼庵に移る。「草の戸も 住み替わる代ぞ ひなの家」 3月 曾良を伴いみちのく、北陸、大垣までの「おくのほそ道」の旅に出る。元禄7年(1694)大坂、花屋仁右衛門宅にて没、51歳                          「旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る」 

  2人の旅立ちの地は深川。この地は我が平成の旅人の庵とは隅田川(大川)を挟んだ対岸の町、昔はあちらを「川向こう」と呼んだ。今はこちらを「東京砂漠」と呼ぶ。隅田川に流れ込む小名木川河口に万年橋が架かる。元禄15年、本懐を果たした赤穂浪士の面々がこの橋を渡り、永代橋から築地の浅野家元屋敷に凱旋している。この万年橋の畔に「芭蕉庵史跡展望庭園」があり、この近くに 「古池や蛙飛び込む水の音」 の句を吟じた芭蕉庵があったとされる「芭蕉稲荷神社」がある。杉風が提供してくれた草庵で、大正6年の高潮水害の後に「伝・芭蕉遺愛の石の蛙」が出土している。旅に出る芭蕉、曾良の2人は仙台堀・海辺橋の畔にあった「採荼庵」から、旧3月27日早朝船に乗り千住へ 「おくのほそ道」 の長旅に出ている。



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