18きっぷでゆく歴史浪漫 「平成おくのほそ道一人旅」①旅立ち
芭蕉が晩年、河合曾良を伴に深川採荼庵からおよそ150日、約600里におよぶ「みちのく=道の奥」に旅立ったのが、元禄2年(1689)3月27日(新暦5月16日)。東北、北陸を廻って元禄4年に江戸に戻っている。「おくのほそ道」は元禄期に活躍した俳人、松尾芭蕉による紀行文で、元禄15年刊、日本の古典における代表的紀行文であり、深川を旅立ってから美濃大垣を出立するまでが書かれている。なお、雑誌その他で「奥の細道」とも表記されているが、中学校国語の検定済教科書は全て「おくのほそ道」の表記法をとっているため、今回の旅情篇もこの表記に統一した。さて、芭蕉は辺境への想い、未知なるものへの探求心にかられ、「歌枕」に誘われ、旅立っていった。平成の旅人も昔学んだ句を想い出し、その背景を探りに旅に立つ。因みに「歌枕」とは歌詠みの名所のことである。
「おくのほそ道」の序文は「月日は百代の過客にして、行かふも年も又旅人也」で始まる。旅に身をおき、旅をすみかとした、芭蕉の世界が表現されており、これは中国の漂泊の詩人、李白の「夫天地者万物之逆旅、光陰百代之過客」との対話である。旅をすると云うことは、足で歩いて物事を確かめていくと云う事で、ものを考え探りとるにあたって、手も目も耳も、そして頭も使う事であり、机の前で頭だけを働かす作業とは異なり、呼吸を通して体全体を働かす作業なのである。チィと小難しい事になってきた。ハイではこれらを踏まえていざ旅立ちとなる。お断りとして有効的時間や行程の配分のため、第1日目は仙台まで足を伸ばし、4日目に山形から二本松、須賀川、日光の行程をたどっているが、文章はあくまでも芭蕉翁の足跡を忠実に辿る行程に書き上げているので、御了承下され。
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