「吉原細見」番外編 ⑧大坂新町と夕霧太夫

 島原、新町、吉原の3大遊郭は、秀吉の桃山時代から家康の江戸時代初期にかけての約30年間に成立した。大坂新町は、秀吉の大坂城築城に伴い多くの大名たちが工事に従事させられ、大坂の町はその下で働く労働者たちで溢れていった。町には彼らを当て込んだ、様々な遊興娯楽施設が造られていき、大坂新町はその施設の一つである。

 大坂新町は「大坂夏の陣」の後、加藤清正の家臣、木村又蔵の曾孫と云われる又次郎が、幕府に遊郭の建設を申し出てこれが許可された。又次郎は候補地であった西成郡下難波村の集落を、道頓堀川以南へ移住させ、市中に散在していた遊女屋を、西横堀川の西の湿地帯に遊郭を集約、寛永4年(1627)頃から遊郭設立が始まった。新町は東西南北に川が流れ、隔離された遊郭のように見えるが、外部に通じる門が吉原一つ、島原が二つであったのに対し、新町は外部との出入口となっている七つの門を構え、寛文12年(1672)には、船場からの便宜を図るため、西横堀川に新町橋が新たに架けられ、板塀は東側のみに設けられていた新町は、島原、吉原とは大きく様相を異にしていた。また、新町は遊郭の中に市街地が存在、東側は「船場」に隣接していた。尚、又次郎は「大坂夏の陣」で戦死した木村重成の乳母の子で、瓢箪の馬印を所持していた。この町が「瓢箪町」と呼ばれる所以はここにある。慶安年間(1648~52)に揚屋は12軒、引出茶屋は139軒と繁盛した。延宝4年(1676)になると夜見世が許可され、暮四ッ(pm10:00)に限(きり)の1番太鼓が鳴ると、泊まり客以外は追い出されて大門は閉められた。しかし、明け八ッ(am2:00)になると3番太鼓が打たれて大門が開き、客を入れて営業を再開した。大坂新町は不夜城であった。同7年、太夫27人を含め遊女総勢1202名、元禄年間(1688~1703)には、新町の遊女の数は京島原の約2,5倍に達し、井原西鶴や近松門左衛門などを文芸作品の舞台ともなり、商業都市浪華のど根性を示した。19th初頭、大坂新町を訪れた滝沢馬琴は「揚屋の広く綺麗なること 大坂にしのぐものはなし」と記した。因みに夕霧太夫が島原から、新町に移転した際の揚屋吉田屋は、間口22m奥行108mの構えであったという。遊郭新町の揚げ代は太夫が43匁(7匁≒¥1万)、遊女たちは10年間の年期奉公、外出の自由がなく、衣装、身の回り品は自前であった。湿地帯に立地していたこともあって衛生状態は悪く、加えて栄養状態は劣悪で、病死する遊女たちも多かった。この事は他の公営遊郭も同じであった。

 夕霧太夫は、島原の吉野太夫、新吉原の高尾太夫とともに「寛永三名岐」と評された。彼女は京嵯峨釈迦堂清涼寺西門のほとりに生まれ、本名は照(てる)、父親は大覚寺出入りの宮大工であった。幼い頃島原に身請けされ、扇屋のお抱え遊女となった。寛文12年(1672)扇屋は夕霧太夫たちを連れ大坂新町に引っ越した。浪華っ子たちは今日か明日かと淀川べりで船を待っていたという。しかし、こうして大坂の町の人々に大歓迎された夕霧太夫は、移ってからわずか6年後の延宝6年(1678)2月26日、江戸に大地震があった年に27歳で亡くなってしまう。大坂中の人々が若くして亡くなった、夕霧太夫の死を惜しんだ。亡くなった日は「夕霧忌」として俳句の季語にもなっている。墓は浄國寺と清涼寺塔頭地蔵院であるが、地蔵院は今は廃寺となり、大覚寺塔頭覚勝院が代わって管理している。浄國寺では毎年第1日曜日になると、夕霧太夫を偲んで「夕霧太夫行列」が行われる。道中の歩行作法は江戸吉原の「外八文字」に対し、伝統を重んじた「内八文字」である。一方の清涼寺では毎年11月第2日曜日は「夕霧供養」が行われている。

 夕霧太夫は亡くなった後もその美しさが人々の記録に残り、太夫を題材とした作品が数多く創作された。近松門左衛門は人形浄瑠璃「夕霧阿波鳴門」を発表、井原西鶴は太夫没後4年後に「好色一代男」を発表、巻6「身は火にくばるとも」に夕霧太夫が登場させている。主人公の世之介ら当代の伊達男5人が、太夫を偲ぶ下りがある。夕霧は「ほっそりとして 姿形はしとやかで肉付きも程よく まなざしもゆたかである。声もよくハリがあり 肌は雪のように白く、、、」とべた褒めしている。世之介が「誰のことだえ」と問うとかの5人は口をそろえ「日本広しといえども夕霧をおいてなし、神代このかた類いなき傾城の鏡」と口をそろえてほめたてたと、西鶴は描いている。無衰山浄國寺(大阪府天王寺区下寺町1丁目)の墓碑には、俳人鬼貫が元禄元年(1688)に詠んだ「此塚に 柳なくとも 哀れ也」が刻まれている。

次回「吉原細見」最終章は、長崎円山楠本タキの登場です。わが国初の女医として活躍した楠本イネの母であり、シーボルトの日本人妻であったおたきさん母娘を偲びます。



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