「吉原細見」③2代目仙台(万治)高尾の真偽
永代橋西詰北側から、乙女橋の佳名をもつ豊海橋を渡って左へ、ゆるい坂道を下ると赤い小さな祠が見えてくる。この祠は明暦3年(1657)「振袖火事」とよばれた大火事を契機に、人形町にあった「元吉原」から浅草寺裏の浅草田圃に移転した「新吉原」京町1丁目三浦屋お抱えの2代目仙台高尾を祀った高尾稲荷である。仙台高尾は下野国(栃木県)塩原の農家の娘に生まれ幼名は「あき」といった。幼くして両親と死に別れ親戚に引き取られるが、女衒に騙され吉原に売られてしまった。おあきは稀なる美形であったため、大店三浦屋に引き取られ英才教育を仕込まれて、万治3年(1660)2代目高尾太夫としてお披露目された。新吉原では滅多に笑わない高尾太夫の顔を見ようと、江戸雀たちが後をひかず、政宗の孫、3代目62万石仙台藩主伊達綱宗も、仙台濠改修工事を家来にまかせて登楼を重ね、城を傾けるとされる「傾城の美女おあき」に入れあげた。高尾の方も「きみは今 駒形あたり ほととぎす」屋形の首尾は如何おわしまし候やと詠んだりして、満更でもない感じを示した。綱宗は若さ故か思いが募り、挙句の果て常に自分の傍に置こうと画策、太夫を身請けすることにした。身請け金は太夫の体重分の金塊だと云う。太夫の身請け金は黄金にして20貫余に及んだ。1貫≒3,75㎏×20=75㎏、これには装身具、衣装代も含まれる。髪に飾る簪(かんざし)だけでも2~3㎏あったという。常に頭部にこの重さがかかっていると、頸椎損傷や慢性的な頭痛のタネとなる。おまけに楼主三浦屋はこの際とばかり高尾の袖に鉛を詰め込んだ。なかなか抜け目がない。こうした風体の合計が8貫≒30㎏だったというから、高尾の体重は12貫≒45㎏となる。現代の同じ年頃の女性たちに比べても、そんなにでぶでぶでもなし、ヤセでもなしで健康優良児である。因みに身請け金20貫の黄金を当時の金(カネ)に換算すると、慶長小判1両は4,7匁≒17,85g、これに総量の重さ75㎏を割り算すると約4200両となる。1両≒10万円と想定すると現代の金額で約4億2千万円也となる。
この身請けの話もさることながら、これからの話も如何にも際物好きな、江戸雀たちの創作料理的な話しで、定かではない。高尾を乗せた船は隅田川を下り、月の名所「中洲(中央区中洲」に差し掛かった。伊達下屋敷はもう少し下流の仙台堀辺りである。高尾太夫はここまで来ても「睦(陸奥)ごとは 嫌ざんすと 高尾いい」と、好きな間夫がいた高尾は首を縦に振らなかった。19歳で藩主になった綱宗は、現代用語的に表現すると「切れた」。綱宗は祖父正宗に似て、豪気で好色、大酒飲みのうえ伊達者であった。現代語訳すると、性格的に我儘で癇癪持ち、挙句大酒を飲んで乱行に及んだ事になる。月の明かりが冴えわたる大川の船上で、高尾をあの世に送ってしまった綱宗は、これまでの胸のつかえがとれたのか、また盃を持ち直して、師走の寒月をじっと見つめて杯を重ねたという。彼女の遺体は大川右岸、永代橋辺りに流れ着き、噂を耳にした地元の篤志家が祠を建て、太夫の霊を慰めたという。こうした不行跡が幕府の耳に入り、綱宗はこれを理由に責任を取らされ強制的に隠居させられた。家督を継いだのは嫡男亀千代(4代綱村)2歳、余りにも幼少であったため伊達家は揺れた。後の「伊達騒動」である。「黒田騒動」「加賀騒動」と共に三大騒動とされる伊達騒動は、この仙台高尾に絡む事件が発端だとされている。しかし、幕府が強引にまだ21歳と若かった綱宗を隠居させたのは、綱宗が当時の後西天皇と従兄弟(2人の母親同士が姉妹)であったため、仙台藩と朝廷が結びつくことを恐れた幕府が、本人と伊達一族を圧迫して、強引に隠居させたというの方が説得力があっていい。
さて、新吉原後の高尾については、こちらの話の方がまともである。ひとつは万治3年(1660)2代目高尾は、19歳で三浦屋で病没したという説である。高尾太夫の亡きがらは間夫であった旗本に引き取られ、小さな寺に葬られ供養されたという。しかし、北関東の寒村に生まれ、早くして両親に死なれ、小さい頃から苦界に身を沈めた「おあき」が、19歳で病気であれ他殺あれ亡くなってしまうのは、余りにも残酷であり惨めである、また、2代目高尾がいかに江戸時代の儒学的教えを受けていたとはいえ、死んでまで一途に間夫との純愛を貫き通したであろうか。あきは現代人と同じく、自分が大事で可愛い、一般的な1人の若い女になって考えた。「私をそこまで愛してくれ、大事にしてくれるなら、おまけに家柄も財産も申し分ないし、今までの人生が取り戻せるかもしれない」と考え、しばらく品川の別邸に隠棲の後、仙台へ移り住む道を選んだ。あちらでは綱宗によく尽くし、老女お橸の方と呼ばれ養子杉原常之助を貰って、正徳5年(1715)78歳で天寿を全うした。仙台市荒町仏眼寺に墓がある。この話は仙台藩医の娘の手記「みちのく草紙」にある。こちらの話の方が現実的で、読んでいてほっとする。さて「吉原細見」次号は、「庶民派紺屋高尾」の登場です。
<チーム江戸>
0コメント