小さい秋見つけた<晩秋編 ②>

 二十四節気「寒露(かんろ)」は10月8日から22日、この頃は菊の花が咲きだし、七十二候「菊日和」となる。陰暦9月9日(10月11日)は「重陽の節句」、古代中国では陽の数字が重なる目出度い日、菊酒を飲んだり、赤い実をつけた茱萸(グミ)の実の袋を交換して邪気を払った。わが国において多品種で変化に富む菊は、江戸庶民の菊作りから生まれててきたものが多い。1本の菊に沢山の異なる菊の花を接いで咲かせる「百種接分菊」という高度な技も生まれ現在に至っている。続く10月23日から11月6日は「霜降(そうこう)」。霜が降る頃、山は紅に染まる。琵琶湖を望む中山道の難所「近江摺鉢峠」や、手児奈姫伝説で有名な下総国「市川真間広法寺」の紅葉が見ごろをむかえる。江戸品川宿、海晏寺の紅葉は、吉原を控えた下谷の正燈寺と共に南北の双璧、また、同じ品川宿でも、春は御殿山の桜、秋は海晏寺の紅葉と季節を分け合った。桜に沢山の品種があるように、楓にも多品種あり樹の多さも加わって、海晏寺は訪れる江戸っ子たちの目を楽しませた。楓はいずれも古木で、鎌倉幕府執権北条時頼が植えたとされている。東に蛇腹紅葉、千貫紅葉、西に花紅葉、浅黄紅葉とそれぞれが覇を競っている。日本神話によれば紅葉は秋をつかさどる龍田姫の衣装で、姫が龍に変身して、天に上るときの鱗(ウロコ)であると信じられてきた。一口に紅葉と言っても厳密には、葉が赤くなる「紅葉」、黄色くなる「黄葉」、赤褐色に変わる「褐葉」に分けられる。地面に散った落ち葉、褐葉を平安貴族たちは「朽葉色」と表現した。「もののあわれ」を愛した平安貴族たちはこの朽葉色を好み、江戸時代の「四十八茶百鼠」と同様に「朽葉四十八色」と呼ばれるほどの多くのバリエーションを生みだした。「赤朽葉色」もこの色のひとつで、彼らはくすんだ赤色を秋に着用する装束などに好んで使用した。 

 10月31日は「ハロウィン」秋の収穫を祝い悪魔を追い払う祭で、元々は古代ケルト民族の風習で、古代ケルトでは11月1日が元旦、大晦日にあたる10月31日には悪い霊が悪戯をしにくると信じられていた。そこでお面をかぶって火を焚き、悪魔を追い払ったという。カボチャをくりぬいて作る「ジャック・オー・ランタン」には、良い霊が戻り悪い霊を追い払う力があるとされている。このカボチャの色は柿色、柿の実のような鮮やかな橙色を現すようになったのは江戸時代になってからで、染色の世界では「照柿」と表現されている。続く11月3日は「文化の日」、文化功労者に選ばれた人々は「綬(じゅ)」と呼ばれる勲章を頸にかける。この紐の色は「竜胆(りんどう)色」をしている。竜胆は本州から四国、九州地方に自生、毎年9月から11月頃に開花、根は漢方薬に利用される。強い苦味があるために、竜の胆のようだとう例えから竜胆の字が当てられたという。11月7日は「立冬」この日から立春前までが暦の上では冬、冬立つ、冬に入る、冬来るとなる。北国から初雪の便りが届き、木枯らしが紅葉を吹き払う。江戸時代、この季節になると下町三河島(荒川区)にある幕府の餌付け場に、北から渡ってきた鶴が飛来、江戸の街に冬の訪れを感じさせた。秋も深まる11月第3木曜日は、フランス南東部で収穫された葡萄を使って製造されたワイン「ボジョレー・ヌーボー」の発売が解禁され、「葡萄(えび)色」の赤ワインを世界中で待ち望んでいる日である。ワイン党にとっては新年よりも大事なハレの日となる。葡萄色は葡萄(ぶどう)と書いて(えび)と読む。山葡萄の一種であるエビヅルの実が熟したような、紫味の強い赤を葡萄色と呼ぶ。晩秋から初冬にかけて冷え込んだ朝、川に湧き上がる蒸気霧を「川霧」という。川霧に限らず霧の多い土地は、宇治や牧の原台地などの茶や干し柿、蕎麦の産地が多い。山肌に沿って上っていく霧は「山霧」「霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き」芭蕉。また、春先になって、空中の冷たい大気に暖かい地上の大気が冷やされて水蒸気になる。越前大野や備前高梁の小高い山に建つ城は、平野に広がった霧、靄によって城が空に浮かんでいるように見え、幻想的な「天空の城」となる。

 大陸からくる冬の北西季節風の気温は海面より遥かに低く、この風は海面からの水蒸気をもらう。と同時に対流を起こして積乱雲を作り、日本海側や太平洋側の境界の山間部で降らす。この雨を「時雨」という。時雨は風を伴って忽然と降る雨で、「時(シ)」は風、しばしば暮れるを意味し、「雨(ぐれ)」は過ぐる、狂いを意味する。演歌の世界では無情の恋と結びついた。冷えた日は時雨は「みぞれ」「アラレ」となり雪となる。古代中国晋の車胤は夏は蛍を集めてその光で本を読み、孫康は雪の明かりで本を読んだ。黒い地面の光の反射率は10%台であるのに対し、新雪では85%前後にもなる。雪がやみ雲の切れ間からつきが地上を照らすと思いがけない明るさとなる。我が国暗闇の政界に明るく社会を照らし出す、自己の懐を温める事のない政治家が待たれる処である。現代暦で10月下旬の晩秋から、12月中旬辺りまでの初冬にかけて、一度グンと冷え込んで霜が降りた日の後、空青く空気が澄み、風のないうららかな、まるで春を思わせるような陽気を「小春日和」と呼ぶ。気象学的には、大陸からの移動性高気圧によるものと、冬型の気圧配置の緩みから来るものがある。古代中国楚の国の歳時記では、天気和煖にして春に似たり。故に小春という。江戸時代、小春は「冬の愛想」、徒然草では「十月は小春の天気」、大辞林では「小春は陰暦10月の異名」としている。英語では「インデアンサマー」、女心のようにはかない暖かさを意味したのであろうか、ドイツ語では「老婦人の夏」ロシア語では「女の夏」と呼ぶ。北米やヨーロッパにおいて、こうした陽気を日本のように小春日和と「春」という字を用いないで「夏」という字を充てる理由は、緯度の高い国での春はまだ寒く、夏になってやっと快適な季節となるからである。

 さて、この季節になると体の冷えを感じる人が多くなってくる。一般的には女性のほうが多いとされ2人に1人が体に冷えを感じているといわれる。この原因として、女性は体の熱を作り出す筋肉が少ない、低血圧や貧血の症状である人が多いからだとされている。男性の場合は不規則な生活、偏食、過労からくるストレス。この予防として、先ず腹部を冷やさない事で、身体の深部が冷えると熱の放散を防ごうと、末梢神経が収縮して手足が冷えて来るという構図となる。体が冷えると心も冷えてくるこれからの季節、暖かい「小春日和」には積極的に外に出て、ストレッチ、ウォーキングで血行を良くし、身も心も芯から暖ったまりたいものである。              江戸純情派 <チーム江戸> しのつか

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