「江戸色彩の研究」小さい秋見つけた<晩秋編①>

 「春は曙。夏は夜 月のころはさらなり。秋は夕暮 日入りはてて風の音、虫の音など。冬はつとめて 雪降りたるは言うべきにもあらず」平安時代の才媛、清少納言はするどい観察眼で季節のうつろいを枕草子にこう記している。しかし、こうした季節の変化は日本に限らず地球のいたるところで、地球温暖化によって感じられなくなり、四季は消滅、二季となってきている。寒かった冬がやっと終わったと思ったら、ほんのりとした春はなく、直ぐに沸騰した夏日となり、夏日から凌ぎやすい秋を超えて肌寒い風が吹き、時雨がさらに気温を下げ、木枯らし1号が吹く冬がくる。今や日本で小さい秋を見つけることは至難の業となりつつある。20th半ば以降顕著になってきた「地球温暖化 Global warming」は、二酸化炭素CO2などの温室効果ガスの排出が主な原因となっている。排出された化石燃料の余分な熱が、宇宙に放出されずに地球にこもり、異常な気温や海水温の上昇、降水量の変化をもたらしている。20th以降の異常な気候変動は、19thのそれに比べ地球表面の大気や海洋の平均温度を0.75度c上げ、海水面の上昇や山火事の多発など、異常気象をもたらしている。また最近多い「ゲリラ豪雨」は、強い陽射しによって発達した積乱雲が短期間で狭い範囲に降る、非常に強い局地的(ゲリラ)豪雨である。この結果、短期間に河川の増水や道路の冠水などにつながり、自然や人間環境に大きな被害をもたらしている。

 秋  Autumnは、暦の上では初秋、仲秋、晩秋に分けられる。初秋・文月は現代の7月下旬頃から8月下旬、二十四節気では「立秋」「処暑」にあたる。仲秋・葉月は9月から10月上旬、露がつき始める「白露」「秋分」となる。晩秋・長月、神無月は10月から12月上旬、もう初冬である。露が凍るほどの寒さになる「寒露」「霜降」にあたる。この時期は紅葉狩り、袷に綿を入れる「衣替え」、えびす講の用品を売る「べったら市」の季節である。白露は陽暦の9月9日の「重陽の節句」の頃、野の草に露が宿り、10月8日頃の寒露になると、秋の長雨が終わり本格的な秋が始まる季節になる。「露」は空気中の蒸気が冷えた草木に触れて水滴になったもので、秋の季語である。大気が0度C以下に冷えてくるとこれが霜になる。露の命、露の間など、儚く消えるものに例えられ、秋の寂しさを一層感じさせている。気象学的に見ると、春と秋は冬の季節風をもたらし、日本海側の大雪の原因となる「シベリア気団」と、「小笠原気団」が交代する季節である。そのため移動性高気圧と共に、暖かい乾燥した爽やかな晴天をもたらす「揚子江気団」がやってきたり、冷たく湿った「オホーツク気団」が居座ったりするため、春や秋の季節は変わりやすい天候となる。因みにオホーツク気団から奥羽山脈を越えた北東の風を「ヤマセ(山背)の風」という。稲作農家のとって、穂が開花した時期に気温が低い日が続くと、実の結びつきが悪く凶作となり死活問題であった。江戸時代、東北地方は冷害によって「天明の大飢饉」など何度も大飢饉に見舞われ、このヤマセの風は「餓死風」とも呼ばれた。

 秋は「凬の色」から始まるという。「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」暑かった夏も風の色によって秋が忍び寄っている事を感じる時期である。草木が動きを見せることによって風の動きが感じられる。吹く動きを見せないが、確かに秋の響きをもつ凬を「色なき風」という。漢詩においては、春に青、夏に朱、秋に白、冬に玄の色を配している。「石山の 石より白し 秋の風」芭蕉。台風などにともなう秋の暴風、野を分ける風は「野分」。清少納言は「野分のまたの日こそ いみじうあはれにをかしけれ」としている。また、初冬に吹き木の葉を吹き落として、枯れ木のようにしてしまう冷たい強い風を「木枯らし」という。二十四節気「小雪・大雪」から冬至辺りまで吹く寒い風で、木枯しは木嵐から転訛した言葉であり、凩の字を充てることもある。江戸はこの後「歳の市」が12月27~29日の「薬研堀の収めの市」まで続く。秋の話題は「凬」から「雨」となる。この時期、3日以上降り続く雨は秋霜となる。晩秋から初冬にかけて、晴れていたかと思うとザァーと雨が降り、傘をかざすヒマなく青空が戻ってくる通り雨の事を「時雨」という。平安貴族たちは京の北山時雨を好み詠み続けてきた。「神無月 時雨に逢えるもみじ葉の 吹かばちりなぬ 風のまにまに」紅葉が時雨によって忙しく木から離れていく季節である。また、時雨に似た気象現象に「天泣(てんきゅう)」がある。空に雲がないのに細かい雨が降ってくるのが天泣、狐の嫁入りともいう。雨が地上に届く前に雲が動いてしまったり、風上にある雲から落ちた雨が、風に流され落ちてきたことなどが原因とされている。

 秋は実りの秋、収穫の秋、村の鎮守の祭の季節である。春の苗代、田植えから始まって、田圃の水の心配から雑草、二百十日、二百二十日の大風、大雨から稲穂を守り、丹精込めた真珠色に輝く新米の収穫である。真珠のように微かにネズミ色がかった色を、英名では「パールホワイト」という。ツヤツヤしたみずみずしい新米は、それだけでおかずのいらない食卓となる。「新米の 其一粒の 光かな」虚子。同じイネ科の多年草に「苅安」がある。苅安という植物の葉や茎が染料となり、美しい淡い黄色をした苅安色を生み出す。「刈」「安」という字名から、比較的手に入り易い染料であったため、平安貴族には余り人気がなく、専ら位の低い役人や庶民の衣料の染色に使われていた。また、秋の味覚のひとつ蕎麦も香りが良く、江戸っ子たちに愛された。関西のウドンに対し、関東に住む江戸っ子たちは黙っていても「下り酒」は呑むくせに、醤油は地回り品の塩気の多い濃い口を好んだ。それに合わせて寿司、鰻、天婦羅、蕎麦を多食した。日本蕎麦の色は「鈍色(にびいろ)」といい、クヌギや柏の樹皮によって染められる。この色も平安貴族には余り人気がなかったが、江戸時代になり、渋味で粋な色調を好む江戸っ子たちに「四十八茶百鼠」と呼ばれ定番として流行っていった。秋に収穫された蕎麦の実でうたれた秋新蕎麦を、塩辛いツユにろくにつけずにたぐり、江戸っ子ぶりを粋がって演じたのが我々のご先祖様である。<晩秋編➁>は秋の風物詩となりつつある、ハロウィン、ボジョレーヌーボー、昔ながらの紅葉刈り、江戸っ子たちがほっと息をついた小春日和などを御紹介します。またまたお楽しみにです。

江戸純情派「チーム江戸」

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