春は名のみの「江戸早春賦」➁桃・桜・花祭り

 弥生3月は自然界では木草弥生い茂る月、人間界においては江戸の頃から人が動く時期、年期奉公の人々の契約期間が終わるのがこの時期、次の奉公人に代わる事を「出替り」といった。また、多くの人が移動する引越しのシーズンでもあった。この慌ただしい時期でも、桃の花は咲き、女の子の祭り「ひいな祭り」が弥生の3日に華やかに開かれる。桃(上巳)の節句は3月始めの巳の日、雛人形は子供たちにふりかかる災難や厄を身代わりになって払うことを意味していたが、平安時代になり雛人形を飾る習慣となっていった。江戸の頃になると庶民の間でも節句を祝う風習となり、飾り付けも年々豪奢になり、幕府も度々奢侈禁止令を出している。このハレの日に欠かせないのが「鎌倉河岸豊島屋の白酒」であった。豊島屋は慶長年間(1596~1615)創業した酒屋である。伝説によれば初代十右衛門に、夢枕に立ったお雛様が白酒の作り方を教えてくれたという。白酒は元々にごり酒の一種であり「どぶろく」のような酒であったとされる。当時「山なれば富士 白酒なれば豊島屋」と称えられた白酒は、現在でも千代田区猿楽町の豊島屋本店で販売されている。その製法はもち米の中に米麹を入れ味醂に仕込み、2ヶ月以上ねかせてから、白酒のもろみを石臼でゆっくりとすり潰していくという。この製法は現在でも継承されている。ひな祭りと同じ様に江戸っ子たちに人気があったのが「潮干狩り」。3月3日頃(新暦では4月上旬)は大潮に当たるため、蛤や浅利などの潮干狩りにはベストシーズンであった。江戸近郊では芝浦、高輪、品川、佃島,深川洲崎などへ朝早くから家族総出で出掛けた。東都歳時記によると「卯の刻(am6:00頃)より潮引き始め、午(pm0:00)の半刻には海底が陸地と変ず。ここに降り立ちて牡蠣、蛤を拾い、砂中の平目を踏み、引き残りたる浅汐に小魚を得て宴を催せり」といった自然を満喫した、魚グルメの日帰りレジャーとなった。

 卯月4月は卯の花が咲く頃である、このため卯月の名がついたという。この花は灌仏会にも供えられる。日本の4月は入学式、入社式の季節。何処の社会でもピカピカの1年生が桜の下で期待と不安を入り混ぜながら頑張っている。ダブダブの制服を着た小学1年生の男の子、女の子の晴れやかな入学式には、曙染の和服姿のお母さんたちが出席した。裾の部分を白く染め残し、上部にを紅色でぼかしながら染めたもので、夜明けの色を表現している。曙色は東雲色の別名で、春は曙「枕草子」の世界である。「東雲の ほがらほがらと 初桜」鳴雪。日本の🌸の原種というべき自生種は10種類ほどあるという。その代表格は山桜と大島桜、山桜の葉は赤褐色、大島桜のは緑色、ともに葉と花が同時に咲く。また、日本各地に咲く〇〇🌸と名のつく1本桜(三春の滝桜、美濃の薄墨桜など)は、エドヒガンサクラと呼ばれる品種で、寿命が長く見上げるほどの大木に成長、彼岸の頃に咲くためこの名がある。江戸末期から明治初期に品種改良されたソメイヨシノは。、エドヒガンと大島桜の雑種、当初は吉野桜と呼ばれていたが、明治33年ソメイヨシノと命名された。桜やツツジで名を上げた染井村は、染飯、蘇迷とも記され、幕府の庇護のもと、江戸における最大の花卉や植木の栽培地、供給地となった。染井村はもともと「染井」と呼ばれた井戸があった事からこの名があるが、土地名も変換、寛永18年(1641)では「武州豊島之郡染井村」、元禄年間(1688~1704)では、駒込村の枝郷として「駒込染井」と称された。尚、ソメイヨシノは染井村の植木屋が売り出したというが、定かではない。

 江戸の花見処は、上野の山から墨堤、飛鳥山に御殿山。京なら嵐山、御室に醍醐と何処へ行っても桜の名所が多い。上野の山の花見が、江戸庶民に愛され始めたのは寛永年間(1624~43)、現在のように行楽として花見に出掛けるようになるのは、承応年間(1652~54)頃からだと云われる。林羅山の提言で、紀伊吉野山のように下から上へと花を長く楽しめるように、桜の種類を違えて植樹していったという。東叡山寛永寺の黒門から仁王門までの桜並木では、着てきた女房の小袖や亭主の羽織を、弁当を結わえてきた紐に通して幕の代りにして、毛氈や花筵を敷いて酒を飲んだ。ここは輪王寺の宮が門主であるため、鳴り物、夜桜は禁止されているが、小唄や浄瑠璃、踊り仕舞は咎められなかった。花の頃はたいがい昼から雨と相場が決まっていたが、傘もささずに花見小袖を濡らして帰るのが粋だとされた。「花の雲 鐘は上野か 浅草か」芭蕉。2024の開花は弥生の20日前後だとされている。

 4月8日は「天井天下唯我独尊」と唱えた、お釈迦様の誕生日を祝う「花祭り」である。釈迦はBC463頃、現在のネパール、タライ地方の離宮で誕生、この日は無憂樹(アソカ)の花が満開であったという。この時、天の龍が空から霊水を注いで産湯をつかわせたと云われている。花祭りは灌仏会,仏生会、降誕会ともいわれ、季節の木の花、草の花で飾られた花御堂の誕生仏に甘茶を注ぎ、釈迦の誕生日を祝う。我が国では推古天皇14(606)奈良の元興寺で行われたのが最初だと云われている。灌仏会は本来は仏教行事であったが、次第に農業の行事と結び付き、田の神を里へ迎える大事な日となっていく。人々は仕事を休み山へ入り、山吹や藤、ツツジの花や枝を持ち帰り、自分の家や庭に飾り田の神を迎え.た。この日は浅草寺、増上寺、築地本願寺、護国寺,池上本門寺などで稚児行列が行われ甘茶が振るまわれる。この花祭り、世界各国でも開かれる。スペインではコルドバの花をテーマにした「パティオ祭り」が知られる。コルドバの人たちは自分たちの中庭に、思い思いの花を飾り自慢し合う。因みにパティオとは、スペイン語で中庭を意味する。また、ドン・キホーテの舞台、ラ・マンチャ地方のコンスエグラでは、サフランの収穫期の10月には「サフラン祭り」が開催され、同じくスペインサラゴザでは「聖母マリアの花祭り」、人々は民族衣装で身をくるみ、花をマリアにさ捧げる。1月は米、カルフォルニアの「ローズパレード」。2月、南仏ニースのカーニバル。4月第1週、ワシントンDCの「桜まつり」。ポトマック河畔は日本からの3000本の桜が彩られる。同第3週、オランダではチューリップの開花に合わせパレードを開催。5月6月の「カトリック祭日」に合わせ、イタリアジェンツァーノの石畳の通りは、花びらで埋め尽くされる。また、同じ頃ブルガリアのカザンルック地方では「バラ祭り」が開催され、バルト三国のラトビアでは「草花の市」がたち、人々は草花の冠で装う。日本では「花祭り」が終わると、間もなく夏も近づく八十八夜、茶摘みの季節となる。




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