<江戸花暦> 柳と銀座 ①
柳は芽吹いた新芽のみずみずしい季節が、最も美しいとされるが、梅雨の頃に、雨にしっとりとした柳も趣きがある「見渡せば 柳櫻をこきまぜて 都ぞ春の錦なりける」素性法師。銀座の街を毎日歩かないと、落ち着かないとういう人が多い。これといって何処へ行くのでもなく、買い物をするのでもなく、ブラジル珈琲を楽しむ訳でもなく、ただ、いつもの街を眺め、いつも行きすがる人々の顔に、さりげなく目を流し、柳をそよぐ凬に吹かれれば、それで満足なのである。長く銀座界隈に住んでいなくとも、たまにカントリーから訪れても、気取らずに、ただ、無我になってそぞろ歩くだけで、昔からここに住んでいるような街になるのが、銀座である。♪「柳に~ぃ燕は あなたと私 胸の振子が鳴る鳴る 朝から今日も 何もいわずに ふたりきりでぇ~ 空を眺めりゃ 何か燃えて~」と、こんな唄がよくあう街が、銀座である。
柳の原産地は、中国中南部、揚子江河岸、江蘇、浙江、湖南、四川、雲南、広東省などであり、北京以北では生育が難しい。日本への渡来は推古天皇、聖徳太子の時代、遣隋使の小野妹子が持ち帰ったのが最初だとされる。戦国末期の「天正・文禄の役」にも、加藤清正が朝鮮から、江戸時代に入っても会津藩の接韓史が、対馬から持ち帰っている。植物学的には、ヤナギ科ヤナギ属で、落葉高木または低木、最も大きい木は高さ18~25m、胴まわり3~4m、枝の垂れは15~18mに及ぶと云う。北半球の温帯、亜寒帯を中心に分布、日本では32~150種類と雑種が多い、オス、メスの異株で、春になると穂の形をした「花」をつける。古語では「蜀柳」「ハルススキ」ともいわれるが、通常、柳というと「シダレヤナギ」で、種類によって枝垂れ加減に硬軟がある。学名Salix babylonica(サリックス バビロニカ)中国産のものが、中東バビロンに渡り、そこで採取、標本になった為とされる。日本の柳は、シダレヤナギ、ネコヤナギを指し、葉が細く枝が軟らかくしなだれる。漢字では「柳」と書く。中国では、カワヤナギを指し、漢字では揚貴妃の「楊」と書く。楊は葉に丸みがあり、枝が硬く立ちあがっている。楊栁は春になると一斉に芽を吹くため、中国では邪気を払う植物とされ、生命力の象徴とされてきた。折り取った葉を逆さに植えても、根付く為、「縦横倒順」のことわざもある。「万葉名物考」には、「柳は枝折りて 地上にさしおけば生ひやすく 根植えはかえりて育たぬもの也」としている。移植はかえって付きにくいとしている。成長の早いもので、年間2m位にまで伸び、5~6年で並木として、十分に使える。
中国では旅立つ友人に、柳の枝を環に結んで贈る「折楊柳」という風習がある。「環」は「還」に通じ、友人が無事に帰ってくる事を祈る為だという。更に、友人が旅に疲れて、魂を失なわれないように、柳に繋ぎとめておく、そういった意味もあるという。日本でも柳を、長寿や繁栄、無病息災を願う祝物として使う風習が多い。このような事から、村の境や橋の袂に植えられてきた。また、見返り柳のように遊郭の出入口、いい方を変えると、柳は別の世界の境界線に植えられる事も多く、解りやすい例として、別(死)の世界の境界には、柳の下には別の世界の人間、幽霊がいるとされてきた。一般的に楊栁は、中国では庭木として、寺院、墓地などに多く植えられ、日本では、都市の並木に多く植えられている。銀座の他に、見事な柳並木は全国にある。京都では、府庁前、五条通り、応永2年(1395)に植樹されたと云う、南禅寺の柳並木、100年の古木が100本の並木をなしている、山口市後河原が著名である。銀座の柳・枝垂れ柳の別名は「ナポレオンヤナギ」ともいう。セントヘレナ島に流されたナポレオンは、自分がこの地に流れてから、植えられた柳をこよなく愛したという。彼の死後、ある女性がこの柳を、彼の墓に挿し木した処、見事に育った。為にこの枝垂れ柳をナポレオンヤナギと呼ぶようになった。更にこの柳は、地中海から大西洋を渡り、米国ワシントン大統領の墓地に挿し木され、これも見事に成長、二匹目の泥鰌ならぬ、2本目の柳となり、「ワシントンヤナギ」とよばれる様になった。「銀座の柳」も「の」が抜けて「銀座柳」と固有名詞で呼ばれる日が、意外と早く来るかも知れない。
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