緋色の探究 ②茜・蘇峰・紅花
「春は曙 秋は夕暮」太陽高度の低い朝や夕方は空気中を通る太陽光線の距離が長くなる。従って波長の長い光しか地上に届かなくなるために、空の赤や黄色が強く見える。また空気中の水蒸気が多くなればなるほど、美しい茜色の夕焼けとなり、茜空、茜雲が見られる。山の端から太陽が昇る前に、そのわずかな光が反射して空が白みかける。<曙色><東雲色>などと呼ばれる色は、多くは<茜色>がやや淡く霞がかった感じの色で、春などはわずかに紫がかった色が、やがて黄味を帯び、橙色から茜色になってくる。また、夕焼け小焼けの赤とんぼはアキアカネ、暑さが大嫌いな蜻蛉で、6月から7月に卵化した後は標高の高い高原に移動、平均温度が涼しくなる9月になると、里に戻ってきて人々の目を楽しませてくれる。「あかねさす 紫野いき標野いき 野守は見ずや 君が袖振る」天武天皇(大海人皇子)と天智天皇(中大兄皇子)の2人の兄弟に愛された才女、額田王は万葉集でこう詠んだ。「あかねさす」は陽の光で赤く染まる様子を形容する、紫、日、照るにかかる枕詞である。我が国においては古来より、緋色(赤色)の染料として、茜、蘇芳、紅花などの植物系のものの他、昆虫や鉱物なども用いられてきた。
<茜色・緋(あけ)>茜草は本州以南に自生するアカネソウ目の多年草で、江戸中期までは京・山科が主産地であった。江戸・赤坂の地名も、この茜草が群生していた坂であったことに由来する。栽培方法は簡単で、梅雨時に四角形で葉は長い葉脈を持っている茎を30㎝程に切り、その端を10㎝位斜めに土の中に差し込んでおくと、根が自然に生え成長する。秋になると小さな淡黄色の花をつけ、根はヒゲ状に細かく分かれ、1年目のものは黄褐色、2年目ものは引き抜くと根は美しい紅色をしており、乾燥する橙色となる。5年目ものになると染料となる茜草の根が収穫出来る。「正倉院文書」にも「赤根」と記されている。この根で染められた濃い暗めの赤を茜色と呼ぶ。茜は藍と並ぶ人類最古の染料とされ、約4500前の遺跡から茜染めの木綿が発見されている。お隣中国では揚子江上流が主産地で、北京からみると西域にあたる。西の草、艸かんむりに西がついて、「茜」という字が生まれたという。日本茜は耶馬台国の卑弥呼が、魏の国王に献上したものの中に赤や青の絹布があったが、赤布は茜染めの布で、既にその技法が確立していた事が伺われる。飛鳥時代、茜と灰汁で染めたやや黄色をおびた明るい茜色=<あけ・緋色>は、高徳天皇の官位にみられる<真緋>、持統天皇の茜色も同色である。推古天皇以来、官位においては、紫、深緋(こきひ)、緋色の順となる。「延喜式」によれば、<深緋>は茜と紫根で染めた色である。茜染めは鮮やかな色素を抽出する事が難しく手間がかかっため、江戸時代においては、先ず、くちなしの黄色で下染めし、その上に蘇芳で染められた<紅緋>が<緋色>と呼ばれるようになった。この同色系には、赤、紅、朱、丹、薔薇色、小豆色、臙脂色、スカーレット、バーミリオン、マゼンタなどがある。純粋な茜染めと云えるものは、武蔵国青梅御嶽神社に伝わる赤縅鎧であるとされるが、鎌倉時代の武将畠山重忠が奉納したこの鎧を、八代吉宗は江戸城に運び、染師にこの技法を復活させた。その経緯は「武内染鑑」に記されている。
<蘇芳(すおう)>東南アジアやインドなど熱帯地方に分布する、マメ科の低木である蘇芳の木の中心部分(心材)を、赤系や赤紫系の色を染める際に利用する。色素成分はブラジリアンといい、みょうばん(アルミニウム塩)と結合して赤い色となる。また、椿などの灰汁(鉄塩)と結合すると紫色となるため、これらの性質を利用して染料として用いられてきた。蘇芳はわが国では生育しないため、奈良時代になって中国から、蘇芳の木と染織の技法が伝わり、染料や薬剤として利用されてきた。暗い紫みの赤である蘇芳色は、奈良薬師寺の金堂の内陣の欄干にも使われ、高貴な色とされてきた。蘇芳は茜染めや紅花染めの代用として、赤系や紫系の染料としても用いられたため、蘇芳で染められた染色は似紅、似紫と呼ばれ、江戸末期になると絵画の赤や赤紫の着色に多く用いられていた。
<紅花>エチオピアからエジプト、ペルシャ辺りが原産地、ここからシルクロードを使って、BC200~300年頃、古代中国西方で勢力を誇っていた匈奴にもたらされた。度々この国の脅威にさらされてきた中国歴代の皇帝は、前漢になって武帝がこの領土に攻め入り、紅花の産地である燕支山を占領した。この為匈奴の王は「我が燕支山を失う、我が婦女をして顔色なからぬ」と嘆いたという。古代中国は後漢の後、三国志の世界、魏、蜀、呉の時代となる。紅藍(くれあい)と呼ばれていた紅は赤色、藍は青色と、共に代表的な色彩であったため、紅藍は染料の総称となっていった。日本には、揚子江の南に位置した呉の国から伝来した染料であるという事で、「呉藍」が「くれない・紅」に転訛していった。「紅の 花にしあらば 衣手に 染めつけ持ちて 行くべく思はぬ」と、貴女が紅の花であったなら、いつも袖にそめつけて持っていきたいと、万葉の世界では恋の歌にも詠まれ、紅は愛された。唐の文化が色濃くもたらされた奈良、平安時代においては、紅は<唐紅・韓紅(からくれない)深紅(こきくれない)>と呼ばれ、紅花で染められた濃い赤色・紅は、<今様色>=当世風の色、今流行りの色となっていった。源氏物語では鼻の赤い女御は「末摘花」、紅花の別称がつけられた。現代のわが国においての紅花の産地は、芭蕉「おくのほそ道」の世界、山形県最上川周辺、肥沃な土地と深い霞がかかる気候の土地で育つ。中国においては四川省、江南省、浙江省や新疆ウイグル自治区、チベット自治区である。中国ではもっぱら漢方薬として用いられている。
<紅(くれない・べに)>は、紅花から抽出した紅色素(カーサミン)で染めた鮮やかな赤色、柔らかい色調は日本人の心と合い流行した。紅花の赤い色素を抽出するには、花を一晩から二晩水に浸けてからザルをあげて水を切ると、サフロールイエウーという黄色の色素が流れていく。この黄色の色素を使って、山形辺りでは産着を染めていた。絞った花に更に水を加えてかき回し、また黄色の色素を流し出す。この工程を何度か繰り返し、黄色の色素が出なくなると、もう1度桶に入れ絞る。これにアルカリ性のワラ灰の灰汁を掛けて、赤い色素を溶かし出す。黄色の色素は中性の水で溶け、赤色の色素はアルカリ性の液体で溶解するという理論を利用している。この作業を20~30分続けながら良く揉み込む。液体は段々濃くなるが、更に灰汁を入れ揉み込む。この工程を2~3回繰り返すと、紅花の液体が出来上がってくる。これに酸性の米酢をつぎ足し中和させると、鮮やかな紅に変わっていく。紅花は夏になるとアザミに似た黄色い花をつける。この花の花弁を摘み取って乾燥させたものが染料の原材料となる。現在、最大の栽培地はアメリカ大陸で、この種子から採取した紅花油は、血中コレステロールの量をコントロールする薬用効果があるため、食用油はサフラワーとしても使われ、血圧を下げる効果もある。小花を乾燥させたものは婦人用の生薬として使われ、東洋医学の分野では、煎じたものは悪血(古い血液)による循環器障害に効く。また、適量の服用はのぼせや頭痛にも効く。また、紅花から作られた口紅は<艶紅>と呼ばれ、蛤の貝殻や白磁の皿などに塗って乾かして保存、その都度筆で溶いて口紅や、頬紅として使用してきたが、化粧品による毒素(白粉による鉛毒)の防止にも役立つとされ、紅花は食用、薬用、化粧品、染料と多方面で用いられている。
次回 緋色編は「世界の緋色」をお送りします。乞う御期待をばです。「チーム江戸」
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