「家康ピンチ」14家康臣従・小田原戦役

 <家康臣従> 天正13年(1585)3月~4月、和泉、紀伊の一揆勢が鎮圧され、次いで四国攻めで長曾我部盛親が討たれ、北国の佐々成政も降伏した。根来寺、雑賀などへの総攻撃も始まる。同年7月11日、秀吉は従一位関白に叙任されると、朝廷の権威を背景に、本格的に諸大名に向けて、私的な戦いを禁ずる命令を出す。これにより以後、大名間の紛争は全て自分が裁定するとした。これを「惣無事」という。惣無事とは、戦国における戦いの中で、国同士の戦いが起きれば、国土が荒らされ農民が疲弊する。これを避けるため先ず紛争の当事者たちに対して停戦命令をだし、それを受け入れればその時点で豊臣政権(公儀)による国分の裁定が下される。仮に従わない場合は、平和への侵害であるとし、その罪により成敗=武力討伐の対象となりうるというものである。こうした政策を打ち出していた秀吉に対し、家康は信州上田の真田昌幸と、沼田領を巡って対立していた。家康は昌幸に沼田を北条に戻すように命じたが、逆に昌幸は家康を離れ、上杉景勝や秀吉を頼ることになる。家康は8月に上田城に大軍を派遣するが敗北、家康はこの後何度も真田家に辛酸を舐めさせられていく。家康父子、真田家とは相性が悪い。11月13日になると、子飼いの岡崎城代石川数正が、妻子とともに秀吉のもとに身を寄せるという事件が起きた。数正しばしば秀吉への使者として出向いていたが、秀吉への強硬論者が多い徳川家で孤立、身の危険を感じて出奔した。西三河の旗頭として、東三河の酒井忠次と並ぶ重臣であった数正の主替えは、家康にとって大きな痛手であった。直ちに岡崎城などを普請、軍法の改正、新たな城代に本多重次をおいた。天正13年という年は、家康にとって内外ともに、多難な年、ピンチに見舞われた年であった。

 天正14年、秀吉の異父妹、旭日姫が家康の二番目の正室として輿入れ、5月14日浜松に着き祝言をあげた。更に10月、娘を見舞うという名目で、秀吉の生母なかもやってきた。二人は実質的な人質である。秀吉のなりふり構わずの外交に、家康もここに至って覚悟を決め、大坂へ向かった。先ず秀吉弟秀長に対面、10月27日、大坂城に入り秀吉に対し正式に臣下の礼をとった。12月14日、家康は五ヶ国の経営と、北条氏への対応のため、居城を浜松から駿府に移した。家康は臣下として、豊臣政権に組み入れられた形となったが、この後の北条氏滅亡、秀吉老害の時期を経て、豊臣政権五大老筆頭として、着々と地盤を固め、徳川政権の樹立を伺っていくことになる。

 <小田原戦役>天正15年(1587)秀吉は島津を屈服させ九州全土を平定、「関東惣無事」の政策執行はいよいよ本格化していった。天正16年、4月、後陽成天皇の聚楽第行幸があり、東海以西の諸大名たちが秀吉への服従を改めて誓った。まだ、出仕のない北条に対し強硬な意見が強まっていった。秀吉は家康に、まだ関東で戦っている北条氏政・氏直父子に対し、さらに伊達、最上、葦名らに対する「奥州惣無事」政策の執行責任も負わせ、彼らの戦闘を停止して自分に臣従するようにと命令を下した。これに対し北条側はのらりくらりと返事を延期した挙句、小田原城の大規模改修に取り掛かった。城下町や周辺の田畑を取り込んだ、総延長9㌔に及ぶ惣構を構築である。これは大軍に包囲されても、数年は持ちこたえる代物であった。この様な反抗的な態度に業を煮やした家康は、北条の領国はそのままであるとしながらも、5月中に氏政、氏照兄弟に上洛を求めた。それも否なら氏直に嫁がせた娘督姫の即時返還を求め、徳川、北条の同盟破棄を突きつけた。北条はさすがに自家存続の危険を感じて、遂に和睦を決意した。

 8月、北条氏規が上洛、豊臣政権側ではこの上洛をもって、北条氏が「関東惣無事」を受け入れたものとみなし、領国境目の策定に着手した。領土裁定の焦点は、上田城に本拠をおく真田が抑えていた上野国沼田領の処遇であった。この沼田領に関する裁定は、その2/3を北条方に割譲し、残る1/3を真田に安堵、割譲分は家康が補償するという内容であった。北条側に沼田領が引き渡され、氏政が上洛を残すのみと、対小田原政策無時は無事進行しているかにみえた。ところが10月末になって北条側の沼田城守将が、沼田領真田方にある名胡桃城(なぐるみじょう、群馬県月夜野市)を奪取という戦いに出た。真田昌幸は秀吉に報告、これを知った秀吉は己の名誉を傷つけられたと激怒。明らかに我を無視した我に対する反抗、公儀に対する反逆であった。11月24日、5ヶ条からなる最後通牒を氏直に送り付けた。「北条軍、近年公儀を蔑ろにし上洛あたらず。ことに関東において雅意に任せ狼藉の条、是非に及ばず」と。天正18年正月、秀吉は全国の大名に動員令を発し、小田原戦役が始まった。



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