「おくのほそ道ひとり旅」 ⑬親不知から有磯海
JR新潟から出雲崎を通って柏崎駅終点が「越後線」。この先は、新潟からきた「信越本線」に乗り換え直江津となる。この線このまま日本海沿岸を、富山の方へ向かうかと思うがさにあらず、南にほぼ90度曲がり妙高山、斑尾高原の間を抜けて篠ノ井が終点。この先は「篠ノ井線」お馴染みのJR車窓三大美景のひとつ「姥捨」を通過して「中央本線」塩尻が終点となる。だいぶ横道へ走ったが、昭和の旅人は、柏崎から直江津へ、ここから「北陸本線」に乗り換え糸魚川へ向かう。当時はそれで良かったが、現在は直江津から金沢までは「えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン」などと呼ばれる第3セクターとなる。従って「18きっぷ」は使えない、乗った分だけの実費となる。最近こうした路線が増えて、18愛好家として窮屈な旅となっている。
松本から北アルプス連峰を左に眺めて下って来るのが「大糸線」。その終点がかっては翡翠の石も見つかった糸魚川である。ここは地球創生期、東西日本がぶつかり合った境界線「フォッサマグナ(ラテン語で大きな溝)」の上にある。北米プレートとユーラシアプレートがぶつかり合って大きな皺を作った跡が、南、中央、北アルプス山脈である。その穂高や白馬など、1万尺(1尺≒33㎝)の北アルプス山々が、一気に日本海へ落ち込んで、300~500mの険しい断崖を形成している地点が「親不知」であり、北陸道最大の難所であった。「けふハ、親しらず、子しらず、犬もどり、駒かえしなど云、北国一の難所を越て、つかれ侍れば」と、芭蕉は親不知について多く筆をさいていない。古書には「これより越後の市振外浪青味まで浜辺四里の間 天下無双の難所にて 親しらず子しらず犬もどり駒かえりなど この辺に有り(中略)打よする巨濤嚴壁え打かるに 汐烟いともすざまじく立ちのぼり 走りおくれたものは浪にふれ 忽ち大洋の藻屑となれり。此故に親も子も見かえるいとまもなく 子も親を尋る隙なきとて 爰を親不知 子不知と名付けたり」とある。明治16年 この絶壁の中腹に国道が開通するまでは、崖下の砂浜を、打ち寄せる浪を避けながら歩いて渡っていった。海岸に行くには「北陸本線」親不知駅から、風波展望台へ向かい天嶮海岸に出ると、明治開通の石碑にぶつかる。「如砥 如矢」。この道は砥石の如く平らで、矢の如く真っ直ぐであるという、自負が刻まれている。この国道は現在「親不知コミュニケーションロード」として利用され、全周2㌔ 1時間ほどの周遊コース、晴れた日は遠く能登半島が望める絶景コースであるが、今も嶮しい絶壁は変わらない。JRを利用すると、青海~市振間は新不知、風波、親不知とみっつのトンネルがあり、走行距離13,9㎞を13分で通過する。この為電車はほとんどトンネルの中、たまに切れ間から日本海の荒海が覗かせる。この電車走行13分を、江戸の旅人たちは死に物狂いで歩いた。加賀前田の殿様も、参勤交代のためここを通過しなければならなかった。400から500人の波除人夫が集められ、人垣(人間堤防)によって波しぶきを防いで、その間に駕籠を走って通過した。とても濤の荒い冬場などは、大名行列そのものが消滅した。
旧暦7月12日、曽良と一緒に無事 親不知を通過した芭蕉は、「つかれ侍れば、枕引きよせて寝たるに、一間隔てて面の方に若きをんなの声、二人計ときこゆ」この二人は新潟から遊女で、これから伊勢神宮に参拝するという。「一家に 遊女も寝たり 萩と月」昭和の旅人も疲れたぁといって休んでいる訳にもいかず、次なる目的地、越中富山へ向かって出発進行。JR富山駅は、岐阜からきた「高山本線」の終着駅。その五つほど手前に、「越中おわら風の盆」で有名な越中八尾市がある。この町は石畳みや電線の地中化で、すっきりとした江戸の風情を漂わせる町おこしに努力、毎年9月1日からの三日間は「風の盆」の踊りが繰り広げられる。他の盆踊りに比べ、動きがゆっくりして優雅に感じられる。江戸佃まつりの踊りもこの様な感じである。風の盆は深編笠をかぶるため、一層優雅さが増しており、深編笠で踊り手の顔が、見えそうで見えない演出は、人間心理をついている様でおもしろい。
芭蕉が倶利伽羅峠で詠んだ「わせの香や 分け入右は 有ソ海」の、有磯海は現地名では富山湾、水深約1200m 駿河湾、相模湾と並んだ深さを誇っている。冬から春にかけて蜃気楼が発生、後立山連峰が富山湾に浮かぶ。海水温が上昇、この水蒸気がスクリーンとなる現象である。また、早春から晩春になると、ホタルイカが産卵のために、湾岸に大量に押し寄せ、打ち上げられる。この現象を地元の人間は「身投げ」という。この時イカは青白い光を放つ、蝋燭が最後に燃え尽きる時のように。このイカ、国の天然記念物となっているが食べ方いろいろ、個人的には酢味噌和えが旨く、熱燗にあう。能登半島東側つけ根は高岡市。この町は「北陸本線」が東西に走り、それにクロスするように、北に「氷見線」、やや南東に「城端線」が走っている。ふたつの線は鉄道用語で「盲腸線」という。その路線が次なる路線に連絡していない、つまり行き止まりの路線をそう呼ぶ。今回は北の氷見線に乗って富山湾沿いに北上すると、「雨晴」海岸に着く。日本橋人形町のそば、堀江町にあった照降町のように、全天候型の地名であるが、この名は都落ちした義経が、近くの岩屋で天気が回復するのを待ったことに由来するという。駅前、即富山湾、この海岸より後立山連峰の眺望は抜群、それを狙ってカメラの三脚が列をなす。東海道赤富士と同じ人気スポットである。しかし、冬場は厳しい。晩秋から冬にかけて「けあらし」という現象がおこる。これは冬の大気が海水温より温かい場合、海水が蒸発、海面に立ち上がる霧が富山湾上に立ち込め、後立山連峰が浮いているように見える。越前大野城などで見られる「天空の城」と同じ現象である。勿論、カメラマンはこれを見逃さない。
終点氷見駅は天然の漁港、冬場は寒ブリの本場、豊富な魚介類を使った蒲鉾も旨い。勿論、熱燗のアテには「持って来い」である。その辺の粉の多い品物と訳が違う。私鉄「万葉線」とも併行しているこの氷見線、冬の寒い時期には、車内で「ほろ酔いセット」「飲み比べセット」など、多数派の?呑助、呑子たち向きに、色々なmenuを販売、楽しませてくれる。有磯海の雪景色を眺めながら、暖かい車内で気心の知れた敵方と飲る酒は、冷えた五臓六腑に染み渡る事請け合いである。火照った身体を休ませたら、いよいよ倶利伽羅峠から ⑭金沢、山中温泉、北ノ庄である。 「チーム江戸」 しのつか でした。
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