「おくのほそ道ひとり旅」⑫越後路~北陸路

 酒田の湊より東北の方、山を越え磯をつたひ、いさごを踏みて羽後(秋田県)象潟を訪ねた芭蕉は、己が望んだ陸奥の歌枕探訪の旅は、ここで一応完結したと安堵した。「酒田の余波(なごり)、日を重ねて、北陸道の雲に望む、遥々のおもひ、胸をいたましめて、加賀の府まで、百三十里と聞。鼠の関をこゆれば、越後の地に歩行(あゆみ)を改めて、越中の国、一ぶり(市振)の関に至る」

 芭蕉翁同様、さびしさにかなしひをくはへた、象潟の景に心を悩ました昭和の旅人は、JR「羽越本線」鼠ヶ関駅14:12着。次の上り新潟方面は15:52。この1時間40分を利用して、陸奥三古関のひとつ「鼠ヶ関」の新旧古跡と、義経由狩野地を探漏斗。この電車からは企画、誰も乗り降りしない無人駅で、周辺地図を確保、先ずは「古代関所跡」は石碑のみ。現在の羽前(山形)越後(新潟)の国境付近にあった事が、最近の発掘調査で確認されている。因みに、こちらへの問い合わせは、鶴岡市温海庁舎産業課となる。一方、「近世念珠関跡」は、江戸時代、酒井氏が入部した以降に整備したものであり、歌舞伎十八番「勧進帳」の舞台、安宅の関跡(本来は福井県小松市)ともいわれ、この地にある義経上陸の地跡と、整合性を示している。平安末期、都落ちした義経一行は、吉野山で静御前と別れ、越前から越中、越後を北上、この関から鳴子温泉に近い「尿前の関」、藤原秀衡が待つ奥州平泉に入ったとされる。この町、幾つかの義経ゆかりの地碑の他、弁天島などの景勝地に加え、釣りやキャンプなどマリンレジャーの好適地である。

 「羽越本線」あつみ温泉駅から村上駅辺りまでは、日本海沿岸部を走るseasideviewが続く。復刻版大阪発「トワイライトエクスプレス」は、この辺りで夕陽が日本海に沈みかける時間帯となる。夕陽のほの紅い光が、車内いっぱいにさし込んでくる。1日の黄昏時は、何故かせわしく淋しい。人生の黄昏時もそうであろうか。反面、元気溌剌とした後期高齢のお姐たちも沢山見かけるが。それはさておき、芭蕉の時代も、勝木~村上間は陸路では「出羽街道」、海路では「笹川流れ」と呼ばれた絶景区間であった。JR新潟へは新発田で「白新線」に乗り換える。東京方面からだと 昔は「ムーンライトながら」のように、夜行列車「ムーンライトえちご」があって、早朝新潟についた電車があったが、利用客の減少とかで廃止、今では直通で来るには、新宿南口の「バスタ」を利用する他はない。新幹線などは、18きっぷ愛好家には御法度である。さて、越後の国、新潟の町は安政5年(1858)「友好修好条約」によって開かれた港町である。長崎、函館など他の町はexoticな坂の町であるのに対し、千曲川が信濃川となる河口に位置しているためか、最近までは掘割がめぐらされた水の都であった。また、JR新潟駅は駅弁激戦駅である。毎日、約60種類の駅弁が販売され、お客様にとっては駅弁天国、日本海で獲れた海の幸も楽しめる。これは豪雪により立ち往生した列車の乗客に、おにぎりなどをサービスしたのが始まりであるという。米どころ新潟米のおにぎりは、塩味だけでも旨かった。

 天長10年(933)創建の越後の国一の宮「弥彦神社」へは、JR「越後線」吉田から「弥彦線」に乗り換え終点である。この沿線には、金物の町、燕、三条などが控えている。折り返し発までの間が39分、この間に参拝を企画。本殿まで片道約7~8分、曲がり角を確認しながらの急ぎ足、今年の反省と来年の希望を¥5で要領よく祈願、弥彦温泉の看板を見ながら無事駅に到着、神様(天照大御神曾孫天香命)今度はゆるりと来ます。水分補給して出雲崎へ向かう。ここは歌人でもあり禅僧でもあった良寛の故郷、駅からバス10分程で良寛堂がある。江戸次代ここが佐渡ヶ島への渡船場で、金山へ送りこまれた罪人も、ここから島へ送られた。人間の営みや哀しみと比較、悠大な自然を詠み込んだ 「荒海や 佐渡によこたふ 天河」 出雲崎で着想し、直江津で発表されたこの句は、「おくのほそ道」中で、最高の句だとされている。海のむこうに、紅い夕陽を背に、佐渡ヶ島が黒く座っている。つづく

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