<江戸色彩の研究>江戸の色 ②江戸編
「貰うものなら 夏でも小袖」という言葉がある。小袖は室町時代までは、上層階級でのアンダーウエアであり、町人や武家の女性たちにとっては、上衣であった。この小袖が、江戸時代に入り次第に豪華さを加え、表衣に用いられるようになる。それに伴い、模様も当然美しくなっていった。江戸時代になって、幕府は経済政策のいきづまりから、本紫、紅花染めなどの派手な色の使用を禁止、「徳川禁止考」によれば、200回に及んだと云われる禁止令は、寛文2年(1668)「奢侈禁止令」を始めとし、天和2年(1682)などと続けられ、金銀の摺箔や金糸銀糸の綾取(刺繍)、惣鹿子搾りなどを禁止、価格も上限が設けられた。この結果、庶民が使用を許された色は、「黒、藍、茶、鼠色」などの地味系の色彩のみであった。こうした幕府の度々の、細かな禁止令の隙間をぬって、江戸っ子たちは法に触れない範囲で、細やかな作業を繰り返し、「小紋」など目立たぬ柄を考案したり、茶色、鼠色、藍色、鳶色など、地味な色を多用した、着尺の制作に励んだ。「四十ハ茶 百鼠」に代表される様に、茶系統や鼠系統に、多彩な色彩が誕生、歌舞伎役者の舞台での使用も相まって「団十郎茶」や「路考茶」など、人気役者の名前や、俳名を冠して流行した。「千両役者」といわれた歌舞伎役者が、如何に江戸っ子たちを熱狂させたかを示すものに「ファッションリーダー」としての役割があった。現代でもそうであるが、人気タレントやカリスマ店員が唱えた、色柄が流行る様に、時代の流れは逆であるが、この流れは同様であった。因みに、四十ハ百鼠という言葉は、それぞれの色の数を示すのではなく、語呂の良さからつけられた言葉である。
江戸の文化は大きく、5つの時代に分けられる。時代とともに色彩の文化を追ってみる。天正18年(1590)八朔、家康江戸お打ち入り、黎明期には人口約15万、約210余年後の、化政期(1804~29)においては、人口は100万を越え、権力と富が集中する処に、文化は移行し育っていく、そこに江戸独自の文化が生まれていった。寛永年間(1624~43)江戸初期は上方文化が、まだ優位の時代であった。元禄年間(1688~1703)次第に独自の江戸文化が華開いていく。横柄もシンプルで、結び方も単純な帯を締めていた一方、着物の柄は花柄など、はでやかであった。また、元禄以降から文化文政にかけて、百鼠と同様に、茶色がおおいにもてはやされた。華やかさとは無縁な渋い色であったが、微妙な色調の変化で様々な表情を表し、江戸っ子たちの「粋」や「通」という価値観につながっていった。江戸っ子たちは、千両役者や茶人、花鳥風月などから、名を借りて、贅沢や奢侈禁止令の合間をかいくぐり、微妙な色合いを楽しんだ。茶色と鼠色は、多くのバリエーションを生み、江戸を代表する色となっていった。一方、江戸時代を通して、庶民の生活に欠かせない、一体となっていた色彩が「藍色」である。古くから自生する山藍に代わって、蓼藍が中国から伝来、染料に大いに使用された。禁止令によって制約を受けていた江戸っ子たちは、安価な藍を使ってその領域を拡げ、江戸の粋と洒落を楽しんだ。藍色の濃度は、瓶覗きから始まって、浅葱、藍、紺色と続くが、江戸時代、「紺屋」が染物屋の代名詞、紺絣、紺足袋、紺暖廉、更に半てんや法被、風呂敷、手拭となっていった。これ以上濃く染まらない紺色を「留紺」といい、手間のかかる紺屋泣かせの色であった。、
宝暦~天明年間(1751~88)江戸町人文化が確立していく時期である。江戸が最も江戸らしかった化政期を過ぎ、幕末江戸街の風景は、武家屋敷は白土壁、神社仏閣は朱塗り、大店の暖廉は藍染、料亭の黒門に黒塀、中古材を使った庶民の家は、灰色の建物で描かれていた。これらが幕末における、江戸の街の色彩であった。また、混沌とした世情において、江戸市民の衣装や調度品は、質素にならざるを得なかった。武家社会においての衣装は、小紋調をベースに、色相は渋く、柄や模様としての華やかさは少なかったが、模様そのものに、堅実性と落ち着きがあり、小紋という技巧により、茶、鼠などからくる色彩の不足をカバーしていた。江戸色彩の際立ちは、歌舞伎十八番「助六縁之江戸桜」の主人公、助六のいでたちであろう。装飾過剰な揚巻や意休に対し、助六は黒い着流しに真っ赤な襦袢という、強烈にコントラストされ、卵色の足袋を履き、頭には「江戸紫」の鉢巻を、左巻きに締めて登場、見栄を切る。意図的に組み合わされた色の対称美=助六の姿に、江戸っ子たちは「江戸の粋」を見いだしたのである。「紫」は推古天皇11年(603)「冠位十ニ階」の制度により、最高位に位置づけられた色彩である。「源氏物語」でも、紫の上は理想の女性と書かれている。紫根で染める紫は、揮発性が強く、置いておくと、その周囲まで染まることから「ゆかりの色」とも呼ばれていた。紫根で染めた「古代紫」に対し、江戸時代に生まれた「江戸紫」は、蘇芳にFe(鉄)の触媒を加え染めたもので、ここでも王朝の伝統を誇る上方の古代紫に対し、江戸っ子たちの「意地」と「粋」の、心意気を見出す事が出来る。〆は、江戸に生まれた粋な色を御紹介して幕とする。栗皮茶、百塩茶、鳶色、琥珀色、金茶・山吹色、宋伝唐茶、淡香(うすこう)、梅松(みるちゃ)御召茶などがある。
0コメント