①江戸気質 ㋺
気が短くて口が悪い。これが江戸っ子の通り相場であるが、こうした心のすみっこに優しさや誠実さを抱いているのも江戸っ子である。それ素直に出せなくて、やたら格好つけたり、言葉でごまかしたりして、その気持ちを表現したのも、粋や気質といわれる、美意識のひとつの側面だと思われる。「粋」とは野暮の反対語、気質、容姿、身なり等が洗練されていて、洒落た色気があることをいい、漢字で書けば「粋」、もともとは「意気」であった。粋でないと異性が歓心を抱かないひとつの例として、享保年間(一七一六~三五)の遊女東路は、「見ても聞いても嫌な客は嫌な客でありんす、逆に気配や様子で忘れられない程、惚れてしまうお客もありんす」と述べている。この微妙でファージィな美意識が粋なのである。何処で線を引くか惚れる本人も理解出来ないが、何故か何処かで惚れてしまう結果となる。また、「気質」とは身分、職業、年齢、民族などに特有の気風、性質を意味する。従ってこの評価の仕方も、それぞれ異なってくるのは当然で、あちらでモテたのに、こちらではサッパリという悲しい事になりうる。男女の微妙な駆け引きからぐっとひいて、マクロ的に人間関係をとらえてみても、江戸時代の江戸っ子たちは、ぶっきらぼうでつっつけどんのくせに、他人様には自然的な優しさと、気風を持ち合わせていた人間が沢山いた。こうした人々は現代の電卓的人類とは異なり、自分より立場的に弱い人間がいると、基本的に銭勘定抜きのお節介やきであり、ユトリストでもあった。
なんでも知っている貴重な存在として、年入(年老)がいた。その人たちを大事にし、加えて火事や災害の度に増えた、迷子や捨子たちには、その子たちを保護した町の人々が、一緒になって金のある人は金を出し、力のある人は物を作り運び、時間のある人はその子の世話をみて自立する12歳頃まで、無理なく面倒をみて育てあげた。私立、町協同体の福祉団体である。こうして育てられた子供達は大きくなると、自然と当たり前の様に、同じように心にゆとりを持ち合わせた、人情味のある人間に成長していった。コロナで暮れた2020年の現代人は生活防衛の為、あれが無くなるよと云われれば店に並び、これが食べられなくなるよと云われれば慌てて買い出しに行く。江戸時代においては、物は常に品薄を極め生活防衛は尚更大変であった。江戸町人の人口約50~60万、いろいろな人たちが生活していた。江戸見立番付「浮世人情合」に出てくる人々にも、人間臭い人々があふれていて面白い。例えば合理的でケチだといわれる人の例とて「西瓜の皮を漬物にする」、西瓜の白身の部分を捨てないで漬物にすると、瓜と変わらぬ味となり節約できた。重い漬物石で漬けた瓜や茄子は、歯ごたえがあり旨い。「塩辛い田舎味噌に割り飯」割り飯とは、麦や雑穀の混じった糧米をいう。白米が常識の江戸の食生活においては、侘しい食事となるが、江戸患(脚気)の予防には最適のレシピであったが、塩分とりすぎで高血圧の予備軍となる恐れもあった。「うさぎ年中おからのおかず」兎が好きなおからを、戦後しばらくの昭和の頃、豆腐と一緒に買ってきて、人参やひじきと一緒に調理して、植物性蛋白質やビタミン、ミネラル等を摂取、栄養のバランスをとった時代があった。そこには、エコ&ヘルシーな食生活があった。「唐辛子好きおかずいらず」現代も豆板醤や激辛キムチの好きな人達は沢山いる。辛い物を食べると発汗作用や血液の循環が良くなって肌がきれいになるが、喉が乾いて夜中に目が覚たり麻酔の効きが悪くなる場合もある。「トウナス、さつま芋を大量に買い込む人」トウナスとは瓢箪型をした南瓜、九州ではボウブラともいう。長く保存できる南瓜や芋を、大量購入すれば単価は安くなる。これは経済の原則である。それについてウンチク的批判を述べるのは、それを購入する宵越しの銭を持たないか、それを保管する場所のないとかで、勝手な理由をつけているだけの話である。
自分が出来ないものを人がすると、その人を批判するのは世の中の常であるが、江戸の頃もそうであった様である。風水害や巨大地震が危惧されている現「備蓄」は一方では「美徳」となる。気持ちにゆとりのある人々、将来に備えて考える人々をさぁ~とひっくくってみたが、こうして不安定な生活を防衛しながら、江戸っ子と云われ人々は、夫婦間や親子間でも心のケア気配りを怠らなかった。江戸の人間には今の人間より多少体温があった。現代でも自分の事はさておき、「何であんな男とね」とか、「どしてあんな女とよく一諸にいるね」と自分達の間尺に合わない人間をつかまえて、勝手気儘に噂しあっている。しかし、好きあって一諸にいる本人同士においては、あばたもえくぼ、いや、あばた(欠点)が元々えくぼなのである。そのあばたが良くて惚れこむ訳であるから、そのあばたは惚れこんだ自分がケアし賄えばいい事であった。江戸の男と女が、ああだぁ、こうだぁと、喧嘩しながらも一諸にいたのは、これに他ならないのである。自分達お互いが好きあって頑張れば、絆は拡がり、生活はそこそこそれなりに成り立っていったのである。しかし、物質が豊かで周りが裕福な環境にいる、現代人はそうはいかない。思いや考え方が複雑なのである。要は自分が可愛いい為、常に電卓をはじき、自分を努力、頑張り、我慢などという、窮屈な言葉から遠ざけ、都合の悪い事は「あなたまかせのオラが春」で、相手に転嫁(現代では国や社会も以下同文であるが)居心地のいい、自分がそこに居るだけで大事にされる居場所を常に探している。世の中そんなに都合は良くないし、他人さんもそうは甘くない。結果自分で人生の階段を降りて行き、気づけばそこに年齢を重ねた一人の人間がいる事になる。
さて、少なくとも現代人より人生を甘くみない、真面目に素朴に生きていった江戸っ子たちも、そろそろお疲れ様、やれやれこの世ともおさらばかい、という間際になって何を考え、何とのたまったのであろうか?最近見られない「辞世の句」を拾ってみた。<人生応援歌>「木枯らしや 後でで芽をふけ 川柳」柄井川柳。<含蓄のある句>「散る桜 残る桜も 散る桜」「うらを見せ おもてを見せて 散るかえで」良寛。「先に行く あとに残るも同じ事 連れていけぬを わかれとぞ思う」家康。「散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ」細川ガラシャ。「おもしろき こともなき世をおもしろく すみなすものは 心なりけり」高杉晋作。<江戸っ子的な洒脱な句>「人魂で 行く気散じや 夏野原」葛飾北斎。「この世をば どりゃお暇せん香の 煙とともに 灰さようなら」十返舍一九。<江戸の人々が常なる願いを詠んだ句>「公事喧嘩 地震雷 火事晦日、飢饉煩ひなき 国へゆく」清水如水。読者の皆様はどの句がお好きであろうか。全員の皆様が、実感、納得と頷く辞世の句を、平安の風流人、在原業平がこう詠んでいる。「ついに行く 道とはかねて聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを」
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