6「堀抜き井戸と江戸の名水」

<堀抜き井戸>

砂礫層の下に粘土層があると、地表から浸みこんだ水は、この砂礫層の中に溜まり地下水となる。しかし、粘土層は常に水平ではないため、地下水は常に流れている。地表から穴を掘り下げて、溜まった地下水をくみ上げているのが「井戸」である。

江戸の下町といわれる地域は、家康入府以前、江戸の海が真近にせまり、葭や葦が生い茂っていた低湿地であり、砂礫層ばかりで、粘土層が無かった。結果、地下水が溜まらず、井戸を掘っても水に当たらないか、たまに出くわしても塩気のある水で、飲料水としてはもとより、農業用水としても適さなかった。

家康は塩気のない真水を求めて、上水工事に取り掛かったのが、「神田上水」「玉川上水」などの「六上水」であった。一方、天皇のおわす京都は、古い湖盆と呼ばれた地盤に、深い砂礫層がのり、京を流れる鴨川、桂川の川水が濾過され、旨い天然水となって湧き出していた。

旨い水に恵まれなかった江戸っ子達は、上水に頼らない、何とか自前の水を求めた結果が、享保年間(一七一六~三五)の頃から、一般的になった「掘り抜き井戸」への挑戦である。湿地帯を埋め立てた土地に、成立した江戸下町では、地表から砂礫層を五間ほど堀下げると「青へな」という地層にぶつかる。その地層を上総堀といわれる方法で竹で突き通し、さらにその下の岩盤を貫通させて、やっと良質な水にたどりついた。

このため一般的には、ニ百両前後を要するとされ、顧客は大身の武家か資産家、商売として水を多量に使う風呂屋、魚屋、豆腐屋などであり、工賃が高い為、一般家庭の普及には時間がかかった。

また、上水の樋から溜めた、枡からの「上水井戸」も、埋立地である下町では、海水面の水位が高いため、上水井戸に海水の塩分が混入、水質の低下を招いた。江戸時代、旧七月七日の七夕の朝は、いつもは井戸端会議で花が咲く、井戸の掃除の日「井戸替え(井戸浚い)」の日である。この日は大家の陣頭指揮の下、長屋の住民が総出で井戸水を汲みあがる。七分目ほど汲みあげた処で、井戸職人と交代、枡の内側の木質部分を洗い、底に落ちている物を拾いあげる。たまに持ち主不明の、粋なかんざしなどが出てきたら大騒動である。水を全部汲み上げてから、元のように水を張って、お神酒と塩を供え、またこれから一年、水の安全を祈る大事な行事であった。

<江戸の名水>

地域の水を賄う井戸は、各所にみられ、名井戸と名のついた処はいくつかあった。木挽町四丁目の元伊予国今治藩松平采女正の屋敷前にあった、掘り抜き井戸は「采女の井」と呼ばれ、周辺の町々の共同井戸であり、享保十七年(一七三二)、浜御殿で使用する井戸に指定されている。

また、神田旅籠町の人々は「千川上水」が廃止後、昌平橋外の東本願寺の井戸(後の加賀井戸)を使用、桶町には眞夏の炎暑になると、茶碗一杯青銅一銭で飲ませ、その代金を子孫に残した事から、この名称が残ったとされる「譲の井」があった。(江戸鹿子)

この様に湧水などの自然水に加え、掘り抜き井戸によって、名水が得られるケースが多くみられるようになり、寛文ニ年(一六六ニ)の「江戸名所記」によると、谷中の「清水稲荷」の清水、小石川の「極楽之井」を紹介しているが、ともに丘崖から湧きだす泉であった。

お茶ノ水の名の由来となった高林寺の「御茶ノ水」は、後に茗溪、小赤壁と呼ばれる、崖の中腹からの湧水であり、この辺りは本郷台地表土の関東ローム層にあたる、ローム層粘土と砂礫層が重なる地域である。明暦の大火により高林寺は駒込に移転、伊達堀の拡幅工事により、水脈が切れ名水の座を去っている。

また、小石川上水を見立てた大久保主人は、後に神田今川橋の袂に住んで御用菓子司となったが、今川橋北詰西側は「主水河岸」と呼ばれ「主水の井」があった。因みに今川橋西南部は承応三年(一六五四)に、玉川上水が開削されるまでは、「溜池」の水を引いていた。この他に桜田御門の「亀井」、井伊上屋敷表門前の「桜の井」、山下御門と幸橋御門の間の「姫が井」、桜田濠土手下の「柳の井」、隅田町の「亀の井」自称院の「蜘蛛の井」小石河の「極楽の井」亀井戸の「淵の井」玉水の「興福の井」、旧江戸川の熊野神社辺、日本橋では白木屋の名水などが、「江戸の名水」と呼ばれていた。

日本の水市場は、約二から三兆円だとみられている。日本の水の品質は良いが、効率性の観点からみるとまだ余地があり、その分コストが高い。日本の水道事業の多くは各自治体が運営しているため、最近の財政難から、老朽化した設備の更新が、新規の住宅への施設などにより圧迫され、思うように進まないのが現状である。

欧州などでは水道の民営化が進んでおり、日本でも二〇〇二年には改正水道法が施行され、民間でも水道の運営が可能となった。これを踏まえ各自治体でも、コストや保守、安全などをトータル的に考察、民間企業に受託させる例が多くなってきており、低価格の水道供給に期待がもてる様になってきた。

また、別の考察からみると、地球全体が使用する水の約七割は、農業用水だという。日本の食糧自給率は約三割強、つまり日本は海外の水を金で買っている事になる。こうした水を「バーチャルウォーター」という。一㌔のトウモロコシを生産するのに千八百tの水を、米は三千六百tの水を必要とするとされる。現代は水も金で買うもの、「湯水の如く」は、遠い昔の言葉となった。

因みに、人間がそのまま飲んで美味いと感ずる水の温度は、十七度C前後であるといわれるが、上手い水へのこだわりは、室町時代にもあった。この時代には、旨いお茶を点てるのに使われる、水の産地を当てる「味あわせ」なる趣向が、流行ったという。この趣向は、例えば京の川の中でも、鴨川の水とか桂川の水とかを特定し、更にその上流か下流か、中程か川畔かと細部までに及んだとされる。美味い飲料水へのこだわりは、京の昔より続いていたのである。

 

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