<番外編>>鉄道の日記念特集④ 洋画編

 映画で観る駅・Station & 鉄道・Railroad <洋画編>

 「大平原」Union Pacific 1939 米作品、監督セシル B デミル。アメリカ大陸横断鉄道の開拓史を描いたスペクタル巨編である。建設を妨害するインデアンの襲撃、列車強盗など、西部劇の醍醐味が味わえる大作である。

 「哀愁」1940 Waterloo Bridge 米作品、監督マーヴィン ルロイ。「風と共に去りぬ」のビビアンリーと「椿姫」のロバート ティラ―が共演した悲恋映画である。舞台は第1次世界大戦下のロンドン、空襲警報が鳴り響くウオータールー橋で出会い、レストランで愛を育て、パリ行きの「ウオータールー駅」で永遠の別れとなる、束の間の恋を描いた作品である。ビビアンリーは前作「風と共に去りぬ」では、強い女を演じていたが、今回は弱い踊り子役を演じた。音楽は「クワイ河マーチ」でお馴染みの、ミッチミラー合唱団、2人が食事を楽しんだレストランは、閉店前になると、キャンドルがひとつずつ消えていく。それに合わせ、二人の恋の行方を占う様に「別れのワルツ(蛍の光)」が流れる。ビビアンリーは彼女自身の出演作品の中で、最も好きな作品であったという。因みに戦後日本で大ヒットした、連続ラジオドラマ「君の名は」は、このウオータールー橋を、数寄屋橋に置き換えた(内容は異なるが)作品だという。

 「鉄路の戦い」Bataille du Rail 1945 仏作品、監督は「太陽がいっぱい」のルネ クレマン。第2次大戦中に制作された反戦映画である。パリ・モンパルナス近郊の機関区で撮影された、仏レジスタンスとナチスとの戦いを描いた名作である。

 「終着駅」Stozione Termini 1953 米作品、監督ヴィットリオ・デ・シーカ監督。ローマ、テルミニ駅を舞台とした、妹をローマに訪ねてきたアメリカの若き人妻(ジョニファージョーンズ、慕情)と、イタリア人青年(モンゴメリー クリフト、戦場(ここ)より永遠に、愛情の花咲く樹」の、束の間の恋(映画では束の間が絵になる)を描いたメロドラマである。テルミニ駅正面のコンコースには、この映画の舞台が残されており、また、この映画で「終着駅」という新語が誕生したと云われる。

 「鉄道員」ll Ferouviere 1956 伊作品、ピエトロ ジェルミ監督、脚本、主演作品である。鉄道機関士の父(ジェルミ)は、末っ子のサンドラからは英雄のように思われているが、長男や長女からはその性格から、なんとなく疎まれている。日本人家庭でもよくある話で、その家庭を取りまとめているのは、その家の肝っ玉母さんである。ある日、彼が運転する列車で投身事故が発生、しかも、信号見落としで追突事故を起こしかけ、そのせいで、貨物列車の運転に降格され、家族も離れていき、毎日酒に溺れるようになってしまう。庶民の喜びや哀しみを、初老の機関士を通して描いたヒューマンドラマである。家庭の歓びの基盤が何と弱いもので、反面そのウラにある家族の絆が、いかに強いものかを訴えかけている作品である。1度壊れかけていたいつもの生活が、除々に戻ってくる。それを促すのは賢く強い母親であり、末っ子ネボラのあどけない笑顔であった。

 「戦場にかける橋」The Bridge on The River Kwai 1957、英米合作、監督、デビットリーン(アラビアのロレンス)。第30回アカデミー賞、監督、脚本、作曲(クワイ河マーチ)、作品、主演男優賞など、その年の主要部門を独占した。舞台はバンコックの西130㌔に流れる、国境の河「クワイ河」にある帝國陸軍第16捕虜収容所、日本軍は泰緬鉄道(バンコック~ラングーン)建設のため、また次なる「インパール作戦」の兵站補給のため、雨期にも関わらず、早期の完成が強いられていた。食糧不足による栄養失調、マラリア、コレラに感染した死者が増大していった。制空権、制海権を失っていた日本軍は 兵站を陸上輸送に頼る他、道はなかったのである。為に多くの兵士たちが命を落とし、日本軍約1万2千人、連合国側捕虜121,621人。それに加え、民間人を「ロウムシャ」として強制連行して、過酷な労働に使役、タイやビルマ(ミヤンマー)の人々など、約8万人もの人々を死に追いやったのである。この事は戦後問題となっている。日本側では「ウ号作戦」と呼ばれた「インパール作戦」は、昭和19年3月開始、インドにあるイギリス軍の拠点「インパール」を、ビルマから3週間で攻略する作戦であったが、2000m級の山々が連なるアルカン山系を、人力で雨期に、しかも夜間に進軍するという無謀な作戦に、次々と兵士たちは斃れ、誰ひとり辿ついた者はいない地獄の行進となった。大東亜戦争中の作戦の中でも、最も無謀な作戦であると云われ、戦死者およそ3万人、傷病者約4万を数えた。この作戦は冷静な分析がされないまま、組織内の人間関係が優先された、極めて曖昧な意思決定のもとに進められた。従軍した元少尉は「望みなき戦を戦う、世にこれほどの悲惨事があろうか。生き延び残りたる悲しみは、死んでいった者への哀晫以上に深く寂しい。国家の指導層の理念に疑いを抱く」と記している。

 「大列車作戦」The Train、1964、米作品、仏のレジスタンス運動を描いた、ジョン フランケンハイマー監督作品である。ナチス占領下のパリ、ルーブルやオルセーからゴッホ、ルノアールなどの美術品を自国へ、略奪、転送を阻止すべく闘う、操車場長(バートラン カスター)活躍の物語である。レジスタンス運動で散った鉄道員たちを顕彰する記念碑も建てられ、当時のSNCF(フランス国鉄)の全面協力のもとに、制作された作品のためか、いろいろな車両が楽しめる映画である。

 「離愁」Le Train 1973、仏伊合作、第2次大戦中のフランスで、ナチスの手から逃れるため、他国への逃亡を図るため、多民族の人たちが、ひとつの貨物列車に乗り込んでくる。そこで出会うのが田舍で床屋を営んでいた妻子ある中年の男と、ドイツ生れのナチのレジスタンスである、ユダヤ人女性、(ロミー シュナイダー)、この二人の間に愛が芽生える。 お互いに家族のある男女がナチスの恐怖から、死からの恐怖から、そのやすらぎを求めて次第に惹かれていく。死に臨んだ男女が束の間でも、その恐怖を忘れるため、その身をエスケープさせる。しかし、その環境から解き放された時、人間は元の環境(家庭)に戻ろうとする。しかし、この映画の主人公は元の生活に戻らず、愛した女性への愛しさ故か、ユダヤ人女性との苦通の人生を選んだ。映画「ひまわり」では、ソフィァ ローレンが、また映画「シェルブールの雨傘」では、カトリーヌ ドヌーブが、昔愛した男の為に自己の愛を諦めて帰って行く。「離愁」は、愛すべき家庭をあえて捨てて、自己の愛を貫いた究極の愛の映画となっている。

 「アンタッチャブル」The Untouchables 1987、米作品。名作TVシリーズ「アンタッチャブル」を、パラマウント映画が創立75周年を記念して映画化した大作である。エンニオ・モリコーネの哀愁を帯びたメロデーにのせて、禁酒時代のアメリカシカゴを舞台に、繰り広げられるハードボイルドアクシッョンで、ギャングのボス、アル・カポネ(ロバート デニーロ)を逮捕すべく闘う、米国財務省捜査官チームの活躍を描いた実録映画である。捜査官エリオット・ネスにケビン・コスナー、これでハリウッド入りした。老警官役は007のショーン ・コネリー、渋い演技が光って第60回、アカデミー助演男優賞を獲得している。それぞれにとって縁起のいい映画となった。見せ場は数多くあるが、駅に関するシーンは「シカゴユニオン駅」。赤ん坊が乗った乳母車が、駅の大階段をガタコトと降りてくる。それを掴まえたアンディ・ガルシァは、カポネの会計係に銃口を合わせる。彼はこれでスター入りを果たした。ブライアン・デ・パルマ監督は当初、列車を使って大がかりなアクションシーンを撮るつもりでいたが、予算が無くこの階段のシーンとなったという。

 「ハリーポッターと賢者の石」Harry Potter and the Philosopher's stone、 2001、シリーズではロンドン、キングスクロス駅とボクワーク魔法魔術を結ぶ直通列車が「ボクワーツ特急」である。実際にも9と3/4番線に入って行くように見える、フォットスポットが設置されている。魔法使いの少年の成長を描く、ファンタジーシリーズ第1作である。

 さて最後は誰でも1度は乗ってみたい「オリエント急行」である。イアンフレミング原作の映画では、007シリーズ 第2作「ロシアより愛を込めて」From Russia with Love、公開当初は「007危機一発(髪)」しばらく「発」と「髪」が交互に使われていた。主演は第1作「ドクターノー」に続くショーン・コンネリー、黒のスーツがピシッと決まったダンデイてあったが、本人はラフな恰好の方が好きだと云う。音楽(ジョンバリー)も映画に合わせて、ハイビートで決まっていた。オリエント急行の食堂車内で、魚料理に赤ワインを注文をした人間を、ボンドはロシアのスパイだと見抜き、格闘シーンとなる。車内でのアクションシーンは、舞台が狭いだけに演っている役者も大変であるし、セットも壊れ易い。007シリーズは役者が若返りながら、今年も制作、公開され、息の長い人気シリーズとなっている。

 「オリエント急行殺人事件」Murder on the Orient Express、1974 米作品、シドニー・ルメット監督した、アガサクリステー原作の密室推理作品の映画化である。イスタンブール発パリ行きの豪華寝台列車で、米国人富豪が刺殺体で発見される。列車を使った密室殺人事件である。たまたま乗り合わせた探偵ポワロが解決に乗りだすが、いずれの同乗者にも完璧なアリバイがあった。果たして真犯人は?ヨーロッパを走行するExpress d’Orientは、1883年に運行開始、パリ~コンスタンチノーブル(イシタンブール、玄関駅はシルケジ駅)間を走行していた。その後、西ヨーロッパとバルカン半島を結ぶ国際寝台列車会社の列車群が「オリエント急行」と呼ばれるようになっていった。因みに東西文明の交差点、イスタンブール行きの主な停車駅は、パリ~ミュンヘン~ザルツブルグ~ウイーン~ブタペスト~ベオグラード~イスタンブールである。第2次大戦後は、区間の短縮や廃止が相次ぎ、2007年のTGVの開通などもあり、2009年ウイーン発、ストラスブルグ8時59分着の列車を最後に廃止された。

 1988年「オリエント急行」が日本へやってきた。フジテレビ開局30周年を記念して、JRグループや日立製作所、各国の政府や鉄道が協力して、パリ~東京間で、ORIENT EXPPESS 88が運行された。1988、9月5日、チーリッヒから回送されてきた列車の先頭に、パリで映画「オリエント殺人事件」で使われたSLが連結され、パリ~香港、香港~九龍駅で9月26日、貨物線に積み込まれ、徳山港へ曳航されたのが10月17日、広島駅へ牽引された。10月18日、午前10時30分、東京駅9番ホームに無事到着、パリから全区間、搭乗したお客様は17人、皆さんに記念の証書が送られた。日本一周ツアーは9泊10日(車中4泊)お一人さま代金、列車に因んで88万8千円也、定員74人に対し約11倍の強の951人の申し込みがあった。日本でのオリエント急行列車は、鉄道ファンの夢をのせて、北は津軽海峡、青函トンネルを抜けて札幌まで、南は関門海峡を越えて火の国熊本まで、東は瀬戸の多島美を眺めながら、瀬戸大橋を渡って金比羅様の徳島まで運行され、無事故郷パリに帰っていった。「完」




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