<番外編>鉄道の日記念特集 ③邦画編

 映画で観る駅・Station & 鉄道・Railroad <邦画編>

 人生が交差する「駅」は、様々な物語が生まれる。その物語を、遠い彼方に運んでしまうのが「鉄道」である。旅を月日の過客として捉えた、俳聖芭蕉なら、駅・鉄道を何と例えたのであろうか。イギリスに鉄道が誕生してから、早くも2020年で170年を迎える。

 「点と線」1958、東映作品。tvドラマ化も何度かされている。小倉生れの松本清張が、始めて手がけた長編推理小説である。推理小説界に社会派の新風を吹き込んだ作品である。東京駅13番線ホームから、犯人が意図的に向った東京駅で、3人は向いの15番線から、出発する夜行特急「あさかぜ」に乗りこむ、同じ職場に働く女性と同行する、見知らぬ男性を目撃する。数日後、その男女は博多の近くの香椎海岸で、情死体となって発見された。男性は現在問題となっている、汚職事件に絡んでおり、2人は別々の処で殺され、海岸に運びこまれていたのであった。13番線から15番線が見えるのは、17:57~18:01の僅か4分間、この4分を利用して、2人が恋仲であるように見せかける為の、アリバイ工作であった。この空白の4分間を見つけ出したのは、清張本人ではなく、当時の交通公社(現JTB)の社員であったと述べている。(作品では犯人の奥さん)東京駅丸の内舍にある東京ステーションホテルの209号室(現、2033号室)の前には、清張の「点と線」の作品を記念して、連載第1回の冒頭部分や、当時の東京~九州間の時刻表が飾られている。清張が滞在、執筆した209号室は2階の丸の内中央口側から5番目の階段脇にあった。因みに「点と線」の原稿料は当時の金で、1枚1500円であったという。結末は、追いつめられた犯人夫婦は服毒自殺、主犯格の汚職の上司は逮捕を免れ栄転していく。「悪い奴ほどよく眠る」現代の政財界をえぐった映画であった。

 「大いなる旅路」1960、東映作品。盛岡機関区の機関士(三国連太郎)の一代記を描いた物語である。昭和19年「山田線(盛岡~宮古102㌔)」の平津戸~川内間で、SLが脱線転覆した事故を素材にした映画で、撮影は国鉄の協力で、山田線浅岸駅内で、実際にSLを脱線転覆させて行われた。ラストシーンは年老いた機関士(父)と母を、息子(高倉健)が、運転士として新幹線に乗せて走るシーンである。この健さんが、30年後「ぽっぽや」幌舞駅で、定年間際の駅長を勤めている、人生はおもしろい旅路である。

 「天国と地獄」1963、東宝作品。エド・マクベイン原作「キングの身代金」を、黒沢明が映画化した本格的サスペンス映画である。靴メイカー常務の息子と間違えれ、誘拐された運転手の息子、その身代金3000万を苦渋の末、全財産を投げだして、部下の息子を救出すると決めた常務(三船敏郎)、持つ者と持たざる者を天国と地獄として、そこに潜む人間の嫉み、苛立ちを鋭くえぐった社会派ドラマでもある。犯人が指定した身代金の受け渡しは、新幹線の洗面所の小窓から、金の入ったカバンを酒匂川の鉄橋に投げ落とせ、という指示であった。当時の映画としては、斬新な切り口の映像であった。そのカバンには燃やすと牡丹色の煙が出る仕掛けがしてあった。(TV踊る大捜査線でも使用されている)これが犯人逮捕の決め手となる。洋画に見られるように、息もつかせぬハイテンポの脚本と、仲代達矢の刑事役と山崎努の犯人役が光った。前作「悪い奴ほどよく眠る」以上に、見応えのある映画である。この映画公開により、身代金目的の略取誘拐の刑が、従来の3ヶ月以上5年以下から、無期懲役または、3年以上の懲役の罰則になるきっかけとなっている。

 「飢餓海峡」1965、東映作品。水上勉が北海道岩内大火と函館と青森を結ぶ、青函連絡船洞爺丸の沈没事故を素材にして、書き上げた小説を映画化した作品である。(当時は連絡船内に客車ごと船に乗せて輸送、次の駅で機関車に連結して運転するというシステムをとっていた。瀬戸内海の宇高連絡船も同様であった。)沈没後、函館の海岸に打ち上げれた、乗船名簿に載る犠牲者の数が合わない。身元不明の遺体、2名が多いのである。ここから老刑事(伴淳三郎)の執拗な捜査が開始される。捜査は若い刑事(高倉健)も加わって、下北半島、東京、舞鶴と、犯人(三国連太郎)を追って展開していく。公開するフィルムには、作品のリアル感、飢餓感を表現するために、16m/mで撮ったモノクロを、35m/mにブローアップさせ、ザラザラした硬質の質感を表現出来る様、努力がなされている。

 「砂の器」1974、松竹作品。国鉄蒲田操車場構内で一人の絞殺死体が発見された。その被害者は島根県亀嵩で、戦前、駐在所の巡査部長(緒方拳)を勤めていた。人には知られたくない過去がある。その恐怖におびえた人気作曲家(加藤剛)が、昔の恩人を殺してしまうのである。「カメダ」は秋田県「羽越本線(新津~秋田273㌔、日本海沿を走る)」羽後亀田駅、「カメダカ」は島根県「木次線(宍道~備後落合81,9㌔、日本海から中国山脈に入る)亀嵩駅。島根県出雲地方は東北地方と似たズーズー弁的方言を使用する。この事から犯人が除々の特定されていく。脚本を共同担当した山田洋次は、ハンセン氏病に罹った父とその息子が、差別、いじめにより全国を遍路する姿をメインにして本を書いたという。少年がいじめにあって悔し涙を浮かべるシーン、学校に行く子たちを羨ましそうに見送るシーンなど、本の出来が伺われる。平成元年のアンケートによる、日本映画ベスト150では、13位と「飢餓海峡」とならんで、邦画の金字塔を打ち立てている、松本清張渾身の長編推理小説である。

 「駅・STATION」1981、東映作品。道警の警察官でもあり、オリンピック代表選手である主人公(高倉健)が、優しい妻(いしだあゆみ)と4歳の息子と別れるシーンが、雪降りしきる銭函駅「函館本線(函館~長万部~余市~(小樽から4番目の駅が銭函)~札幌~旭川431,6㌔、北海道を支える幹線鉄道である)のホームである。列車のデッキから妻は笑いながら敬礼して応えてくれた。しかし、その目には泪がいっぱいあふれていた。切々たる夫婦間の愛情が映像化された名シーンである。この映画の公開にあわせ、当時の国鉄は、10日間で全国を一周する「駅・STATION号」を企画、昭和56年8月21日から30日上野着で運行された。銭函駅は、アイヌ民族が住んでいた頃は、サケやニシン漁として栄え、石狩湾の砂浜が切れる所に位置、明治初年は札幌に入る海の玄関口であり、明治14年、鉄道が開通した時にも小樽駅と一緒に開業、小樽と札幌の中継地点となっていた駅である。ニシンが沢山獲れたため、漁師の家々に囲まれて銭函駅があった。今もその面影が残り、昔ながらの商店や家が数多く存在している。

 「鉄道員・ぽっぽや」1999、東映作品。淺田次郎が直木賞を受賞した、短編小説を降旗監督が映画化した、ヒーユマンドラマである。、SLの機関士から、元炭鉱路線であるローカル線の、幌舞駅長として働く佐藤乙松(高倉健)は、定年を真近に控え、この駅も廃線により廃駅になる運命でいた。乙松は妻を早く亡くし、一人娘の雪子も3歳で病死していった。そのいずれの日も乙松は鉄道の勤務を優先し、それぞれの死を看とる事ができなかった。ある日、幌舞駅に佐藤雪子と名乗る3人の少女(高校生役は広末涼子)が順に訪れてくる。父、乙松に会いに来たのである。死んだ娘と父とのファンタジィクな再会である。妻との交流のほんのり感とは異なり、娘との交流はほのぼのと暖かいが、何故か照れくささがそこにある。この映画はメルヘンチックで懐かしく、また違う泪があふれるシーンである。

 実際の撮影では、幌舞駅は「根室本線」にある「幾寅駅」を改造して行われた。根室本線は、滝川~富良野~帯広~釧路~厚岸~根室まで、愛称「花咲線」を入れて443,8㌔の、道東では海岸線を、道央では山間部を走行するロングラン路線である。幾寅駅は三大車窓「狩勝峠」がある新得~落合間の次の駅である。映画ぽっぽやは、第23回日本アカデミー賞主要部門を総ナメにした作品であり、この映画とNHKの朝ドラ「すずらん」がきっかけとなって、「SLすずらん号」の運転が開始された。また、この映画に出演した志村けんは、2021年コロナ感染の為急逝。映画「鉄道員・ぽっぽや」が、彼の生涯最後の映画出演となった。今回の(いまだにingであるが)一連のコロナ感染によって、貴重な人命が失われ、旅も途絶え、人との交流、信頼が失われていくとしたら、それは残念な事である。           次号は<洋画編>です。






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