18きっぷでゆく北海道岬めぐり ③釧路・納沙布・襟裳岬

 さていよいよ今回は、北海道の東と南に位置する岬めぐりの旅である。網走と釧路を結ぶ南北の鉄道路線は「釧網本線」。営業㌔169,1㌔を、普通列車だと3時間17分で結ぶ。この線は直通運転が1日5本運行され、比較的利用しやすい。網走駅を6:41に乗るとハマナスが咲き、知床連山を遠望できる原生花園(5月~10月停車)を経て、電車はまもなく湖岸に、コタン(かってアイヌ民族の集落だった土地を意味する)温泉など、いくつかの温泉が湧き、カルデラの外輪山にある美幌峠(約490m)がある「屈斜路湖」と、霧の「摩周湖」の間に位置する川湯温泉駅に着く。因みに摩周湖の湖面を見た人は晩婚だとだといわれる。最近都会では、湖面を見た人がやたら多くなった。川湯温泉の駅を出るとすぐに足湯が設置されているから、北海道らしい街の風景を楽しんだ後はここで一服がいい。この辺りはこうした足湯の他に、マリモの生態地「阿寒湖」と同様、「コタンの口笛」などの作品にもなった、アイヌ民族の集落だった場所が多い。

 足をぬぐって電車に乗れば、南弟子屈、標茶など北海道特有の難解駅名が続く、次なる目的地、これも難解な塘路に到着、いよいよ「釧路湿原」である。釧路湿原は日本最大の湿原で、面積は都心がすっぽりと入る約2万6000ha、このうちの中心部7863haが「ラムサール条約」登録の湿地で、表面から1~4mは泥炭層で被われている。ここに約700種のヨシやスゲなどの植物が自生、約200種の丹頂ツルなどの鳥類が棲息している。湿原を自分の足で歩くには釧路市湿原展望台コースや、温根内木道コースなどのモデルコースも用意され、バリアフリーのコースは歩きやすい。歩きたくない、座って湿原を楽しみたい横着旅人には、塘路から湿原駅を経由、釧路まで往復運転している「くしろ湿原ノロッコ号、4月下旬~10月下旬」を利用するといい。冬には「SL冬の湿原号」も運行される。トロッコのように屋根の無い電車もつながれ、湿原の中をゆらゆらと凬にのって走り、見処は歩く程度にまで抑えて運行され、旅人を楽しませてくれる。釧路からなら左側がお勧め、湖なども楽しめる。 

 終点釧路で「根室本線」に乗り換え、半島の付け根JR根室駅までは愛称「花咲線」と呼ばれ、今度は進行方向右側に座ると、太平洋の大海原と「霧多布岬」「花咲岬」が拡がる。これはタラバ、ズワイと並んで道内の名物、花咲カニからの名称である。少々高価であるが一杯買い、生や茹でたり、焼いたり、鍋にしたりとしてくれえる店もある。「納沙布岬」へは、JRから約23㌔、根室交通納沙布線バスで44分(往復運賃¥1970)、東経145°49′、本土最東端に位置、納沙布岬は朝日に一番近い岬である。6月にはAM3:30頃に、太陽が水平線から登るという。沖縄那覇より約2時間も早い。岬の突端に立つと、水晶島や貝殻島など「歯舞群島」が見える。色丹、国後、択捉など「北方領土」と呼ばれる我が国固有の領土である。2019年、当時の沖縄北方領土担当相が記者会見で読めなかった地名である。歯舞群島は日本古来の群島であり、語源はアイヌ語で流氷が退く小島という意味の「ハ・アブ・オ・マイ」、ロシアでも「ハボマイ」と呼ぶ。担当相はロシア語でふってもらえば良かったのである。

 文化4年(1804)幕府は蝦夷地を直轄地として、出稼ぎ労働者による昆布の採取が、色丹島と共に開始された。定住は明治10年以降、北前船を通して往来があった富山県黒部市周辺からの移住者が多かった。昭和20年9月2日、旧ソ連軍が上陸、占領下に入った。終戦当時、島には約4500人が居住、その95%が漁業関係者であった。岬から沖合3,7㌔、一里にも満たない島を、ロシア連邦が自国の領有権を主張、戦前の地名は花咲郡歯舞村、現在は根室市歯舞村、日本の固有の領土であるが、今もロシア連邦の実効支配が続く。今回は、網走から18きっぷを利用して南下してきたが逆のコースもある。とろりとした牡蠣が食べられる厚岸から7:55のバスに乗ると、野付半島の先端で、天然のトドマツが地盤沈下によって立ち枯れた「トドワラ」を見ることが出来る。一種異様な奇景に遭遇する。この数年風化が進み、倒木となっているのも多い。6~7月は打瀬船による、北海シマエビを踊り喰いなど生で食べられる。岬巡りのバスは、中標津BTから羅臼、知床半島を縦断する「知床峠」を越え、カムイワッカの滝からウトロ温泉BTに到着する。風連湖から根室湾、野付水道を眺め、峠を越えてオホーツク海へ出るという、岬めぐり、湾岸デリーシャスコースとなっているから、こちらもお勧めである。

 北海道の東海岸線をなぞる「根室本線」は、厚内から内陸を走り、池田、帯広から新得(新得~落合間では三大車窓狩勝峠が見られる)富良野を通り滝川まで営業㌔443,8㌔、18きっぷ利用の場合、根室を5:31で乗っても乗り換えを3回程繰り返し、滝川16:57着という強者である。帯広は十勝平野のほぼ中央、平地の約半分が農地のため畑作や酪農が盛んな町である。新冠のサラブレットとは対象的に「ばんえい競馬」が盛んである。また、旧国鉄「広尾線」にあった「愛国駅」「幸福駅」へはバス便35分、旧国鉄駅舎では、愛の国から幸福への記念切符を販売、愛と幸せが同時に掴めるとあって、1300万枚も売れたという。駅舎にはやたらと求愛のメッセージが、千社札のように貼ってある。帯広もうひとつのスポットは、旧国鉄「士幌線」跡である。帯広で「根室本線」から分岐、北上して上士幌町の十勝三股駅を結んでいた。この路線にはいくつかのコンクリートアーチ橋が造られ、中でも代表的なのが「タウシュベツ川橋梁」である。古代ローマや南禅寺の水道橋をイメージさせる。1月頃凍結した湖面に姿を現し、6月頃から沈み始め、8~10月には湖底に沈む。為に「幻の橋」とも呼ばれる。自然環境による劣化が激しく、コンクリート部分の風化も進んでいる。

 「襟裳岬」へは、JR帯広駅から先ずバスで広尾に向かい(¥1830)、更にそこからバスで岬へ向かう(¥1040)。全長約150㌔に及ぶ北海道の背骨、「日高山脈」がそのまま太平に落ち込む先が「襟裳岬」である。山脈は海面を2㌔先まで岩礁となって続き、更に海面に没してからもこの岩礁は6㌔も続いているという。岬は八丈島と同様、風速10m/秒の凬が、年間260日も超えて吹き荒れるという強風地帯、このため高い木が育たず、ハイマツなどの低木類が岬を埋めている。まさに「襟裳の春は 何もない春」である。島倉千代子と森進一の同名異曲の歌碑が、展望台の横に並んで建っている。傍に建つ風の館では、¥300で風速25mの凬を体感できる。 また、この岬の沖合で、日本海流(黒潮)と千島海流(親潮)がぶつかり合い、春から夏にかけて年間100日ほど濃霧が発生、岬の景色も真っ白、海の難所となっている。沖合を守る燈台は明治22年、当時の特大レンズを使った第1燈台が完成、現在は光達距離22,5海里(約41㌔)実効光度72万カンデラで、霧の太平洋を照らしている。グルメでは何もない襟裳ではない。つぶ貝や海苔などを使ったラーメンや、カレーに海藻サラダもいい。バス便に合わせてランチを済ませ、岬から西部に位置する「日高本線」JR様似駅行きのバスに乗る。乗車時間55分のミニ岬巡りのバスである(¥1300)。苫小牧で「千歳線」に乗り換えれば空港はもうすぐ。搭乗手続きを済ませてから成田までの腹はもつかな。麺類が続いたからここは道産米を使った「空弁」にするか。いつまでも喰い意地のはった北の旅は、めでたし、めでたしで江戸へ帰る事が出来る。「何もなく 無事で帰るが 旅上手」 

                   <江戸純情派 チーム江戸>しのつか  


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