<番外編>18きっぷでゆく北海道岬めぐり ①津軽海峡・函館・旭川

 ♪岬巡りのバスは走る~ そこに拡がる碧い海よ~。お馴染みフォークソング「岬巡り」である。その碧い海を探しに、日本のでっかいどう、北海道を訪ねにきた。あらかじめ御断りであるが、2021は昨年に続きコロナの夏、変異、デルタ、五輪株が蔓延、故に数年前、まだ北海道でも何それ?の時代に、訪れた記事をまとめたものである。オホーツクの汐凬やポプラ並木の涼凬、タラバの太足と実の詰まったモロコシをお届出来ないのが、令和の旅人にとって痛恨の極みである。今回は北海道の見処、食べ処、湯処に加え、北海道を舞台にした小説や映画、先の大戦で現地の皆様が大変な思いをした「北方領土」についても少しふれていく。

 本州と北海道を隔てているのが津軽海峡、その海峡を渡るにはみっつのルートがある。先ずはお馴染み鉄道の旅である。昭和44年、4月の時刻表に上野発22:39発、秋田で38分停車、終着駅青森には翌日の21:55着、所要時間23時間16分、走行距離760,2㌔の超ロングラン、長距離列車があった。少し昔なら、新宿23:10に夜行列車「ムーンライトながら」に乗り、新潟翌朝4:51、そこから「羽越本線」「奥羽本線」と乗り継ぎ、青森から青函連絡船に乗り換え「北の大地」をめざした。現代なら「えちご」は廃止されているから、それぞれのルートで青森まで行き、「津軽線」で蟹田まで行き、そこで「津軽海峡線」へ乗り込み、北海道側の木古内で下車、「江差線」現在の「道南いさりび鉄道」に乗り換え函館へ向かう。これは海底は特急白鳥のみの運行であり「18きっぷ」使用では、特急列車に乗れない為のJR北海道の配慮である。

 青森から竜飛岬へ向かう「津軽線」の終点が三厩(みんまや)である。義経伝説に由来によれば、東北に逃れた義経が、岩窟にいた三馬の駿馬を得て、無事北海道へ渡った、と云われる村(現、外ヶ浜)である。明治以降、青森、函館間の航路113㌔の航路が開かれるまで、江戸の頃は蝦夷地の玄関口にあたり、松前藩の本陣があった。幕府が定めた正式な奥州道中は日本橋から白河までだが、一般的には三厩までの全行程を指す。凡そ225里、900㌔、宿場114宿、日本一長い街道であった。この道を参勤交代の大名や芭蕉、伊能忠敬たちが歩いた。村内に竜飛海底駅があり、上は演歌「津軽海峡冬景色」の世界、竜飛岬である。昭和29年9月26日、台風15号による風風雨のため、青函連絡船洞爺丸4337tは、七重浜沖で転覆、死者、行方不明併せて1155名を出す、タイタニック号遭難に次ぐ、世界最大級の海難事故となった。当時、北海道と本州を行き来する鉄道客は、函館、青森間を客車、貨車と共に青函連絡船に乗り込み、船で渡っていた。洞爺丸で14:50に函館を出航すると、4時間30分の航海で19:20に青森に到着する。船から降りた列車は40分停車の後、20時丁度に青森を出発、上野に翌10:15に到着する予定であった。この海難事故をを題材としたのが、水上勉原作の「飢餓海峡」である。七重浜に打ち上げられた遺体の数が、乗船者名簿より二人多い。この事から事件が発覚、発展する。映画にもなって大ヒットとなった。七重浜は「道南いさりび鉄度」が函館に着くふたつ手前の駅で、函館湾に面している。次が明治2年、戊辰戦争最後の戦いの場所となり、榎本武楊が敗北、新選組鬼の副隊長、土方歳三が討死した五稜郭である。当時「江差線」と云ったこの路線はニシンの本場江差から木古内までが廃線、ここより函館までが第三セクターとして残されている。この事故を契機に、海底を貫くトンネル工事が具体化、下北半島の突端、鮪の大間岬と函館を結ぶ東口ルートが有力視されたが、水深が深く、堀削に適さない部分が多かったため、三厩から竜飛海底駅より海底に入り、北海道側の吉岡海底まで海底部は23,3㌔、木古内まで総延長53,85㌔、英仏海峡を超える狭軌のトンネルとしては世界一長さと深さを誇るトンネルが、昭和39年工事開始、58年先進導抗、次いで60年に本坑貫通、63年。津軽海峡線として開業した。

 青函トンネルの開通によって、連絡船は廃止、代わって車と乗客を運ぶカーフエリーが青森、函館間を4時間弱で結ぶ。料金は大人¥2000前後、壮大な津軽海峡と下北半島、津軽半島を実感できる。また、函館~大間、苫小牧からは八戸を約7時間で結ぶ航路も就航している。全国には、大洗~苫小牧、舞鶴・敦賀~小樽、大阪南港から別府など、長距離のフェリーも開かれているため、時間の余裕ある方には船もお勧めである。一方、せっかちな江戸っ子には、新千歳空港までの空の旅がいい。ANAの旅割なら羽田~新千歳まで約1~2万円、約1時間、格安なら成田からジェツトスターで新千歳、旭川へ夕方まで着こうとしたら、午前のそこそこの便でフライトしなければならないから、皆なが都合のいい便は、金銭的面では都合のいい価格とはならない。

 道内最長の「函館本線」は、函館と旭川を458,4㌔で結ぶ。官営幌内鉄道が起源で、明治39年までに鉄道国有化により買収、編入により国鉄になっている。戦前は青函航路と稚泊航路を介して内地と樺太を結ぶ動脈であった。函館を出発すると大沼で駒ヶ岳を囲んで山線22,5㌔と海線35,5㌔に分かれ、烏賊にウルチ米、モチ米を詰めて味付けした「いかめし」で有名な森駅で合流する。では運賃はどうなるかというと、営業㌔の短い山側の運賃で清算されるから御心配なく。内浦湾沿いに下った列車は長万部に着く。ここで「室蘭本線」と別れ、羊蹄山の麓ニセコからウイスキーの本場、余市を通過、蔵と運河の港町、小樽へと着く。この町はガラス細工などの洒落た店と一緒に、鮨屋の店がやたらと多い。石狩湾の海岸線を左に眺めながら進むと銭函(ぜにばこ)に着く。倉本聡脚本、高倉健扮する道警のオリンピック射撃選手の刑事が、いしだあゆみ扮する妻と4歳の男の子と別れる雪のホームがこの駅である。笑い顔で客車の中から敬礼する妻の目には、泪が一杯であった。列車はここから内陸に入り札幌駅に到着する。昭和40年代までは、貴婦人と呼ばれたC62型SL(蒸気機関車)重連の急行列車が往復していた。ホワイトアウトの冬の大地を、黒煙をあげて爆走する貴婦人を「撮り鉄」ならずとも感動、必撮の世界である。今ではニセコライナーなどが、札幌を中心に疾駆している。

「千歳線」は空港と札幌を快速エアポートなどで結んでいる路線である。この間にサッポロビール庭園駅がある。道内はサッポロが何と言ってもメジャーである。広い敷地の中に工場があり、工程を見学すると、褒美に搾りたて生を二杯試飲させてくれる。冷えたグラスに計算された液温のビールを注ぎ、泡と液体の絶妙の配分の琥珀色の液体が、乾いた喉に不味い訳がない。どっかと座って何時までも飲み続けたい、人生至福の時間は何故か不意義と短い。人生はこんなもんだと一人ゴチ、札幌へ向かう。札幌は、函館、釧路、旭川、稚内、富良野などと並んで、御当地ラーメンと蟹料理の本場。駅弁もズワイと銀鮭での石狩鮨など豊富である。長万部で分かれた「室蘭本線」が合流する石見沢を過ぎ、「根室本線」終着駅滝川を通過すると、函館本線の終着駅、今日の北海道第1日目の終点旭川である。明日は一日旭川滞在、あさってはいよいよ、北海道北の岬、宗谷岬と花の浮島、礼文への訪問である。②宗谷岬、礼文島、知床岬に つづく。

                         「江戸純情派 チーム江戸」


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