5「九尺二間」のスイートホーム
江戸の頃、ちょいと大通りからそれて、横丁から路地に入ると、ろくにお天道さまもあたらない処にタライや下駄が干してあり、その合間に住んでいる人間が買ってきたものであろうか、思い思いの植木鉢が目いっぱいに並べてあった。今でも下町と呼ばれる町へ行くと、この光景は当たり前の様にある。タライや下駄が姿を消し、子供の自転車やバギーが並んでいる。しかし、江戸の頃はこうした路地には余計なゴミは散らかっていなかった。尤も物が豊富でなかったせいもあるが、町の共同生活が徹底していたからである。他人様に迷惑のかかるポイ捨てなどは、江戸っ子の恥だとされたからである。綺麗で清潔な町、庭園都市、江戸は江戸っ子の自慢の種であった。ここに好んで住んだ人々が、御隠居さんであり、少々騒がしい八や熊、しっかり者のかみさんたちであった。江戸での生活、それはおそらく近世日本においては一番華やかな、自慢の出来る生活であった。細かい事はさておくとしては。どうも江戸っ子という人間は、自分たちが住んでいる場所が一番気に入ってる様子で、「江戸に住む」という事自体が本人たちにとって、自慢の種であった。江戸好きの江戸っ子たちは自分の住んでいる江戸が全国随一の場所であり、他所へは行こうとは思わなかった。行ってもその周辺の同じ様な町内に引っ越し、下町から山の手といった極端な環境の変化は好まなかったのである。北斎も娘の応為と何度も引っ越すほどのマニアであったが、水辺の下町からは離れられなかった。
「住めば都」というが、江戸という大都会の片隅に「九尺二間」の四帖半の畳の上に、かかぁと子供たちと一緒に、せんべい布団にくるまり、朝起きてから寝るまで、ああだぁこうだぁと周りの人間と、一文の得にもならねぇ、くだらねぇ事をくっちゃべって、無事一日が終り、その日の御まんまにありつける事が、江戸っ子たちにとって無上の喜びであった。おそらく、江戸っ子たちは、現代人が休みともなれば、毎日がGWのような人達は尚更、物見遊山に出掛けグルメと買い物を楽しみ、帰り途に次の行き先を決めて帰ってくるといったマメな、見方を変えると面倒な忙しい事は余り好みではなかった。どちらかといえば横着な人間が結構いた。従って一年一度の花見にでもなると、朝っぱらから長屋中で大騒ぎとなった。その花見も、本来の花を愛でる行為から大きく逸脱、花より団子、呑めや唄えの大騒ぎ、呑んだら「寝っちめぃ」の一日であった。江戸っ子たちが一番マメに働くのは、この花見と祭りの時位なもんであった。櫻が咲いたとなれば、近くの土手に出掛け、紅葉が色づいたら近所の寺院に出掛けて愛で、ついでに一杯ひっかけ御機嫌になって帰って来た。江戸っ子は見栄ぱりだとされるが、日常生活においては無駄な見栄は張らなかった。張ったのは男の存在感を見せたい場面だけであった。武士階級と異なり、全国の掃き溜めに生活している、体裁のいらない江戸っ子たちは、例え吉原へ行っても、冷やかして帰ってきた。「風雅でも 洒落でもないが 銭がなし」これが本音である。「からっけつ」を苦とも、恥ずかしとも思わない江戸っ子たちも、生粋の江戸っ子らしくていい。
人間は十人十色で、こだわりをもつ人もいる。「物」特に「食」や「住」のこだわりを捨てたのが、江戸に住む人間たちであった。食べすぎては腹を壊す、大きな家をもてば税金や倒壊の心配も出てくる。江戸庶民の約八割の住民がお店者、「守貞漫稿」によると、「一宇数戸ノ少民ノ借屋」となる。江戸の居住地約1/6の270万坪の土地に、人口の約半数が生活していた。「九尺二間」の生活は、江戸っ子たちの共通の生活の場であった。その生活の必須アイテムは ①行燈、江戸での生活費の中で大きな割合を占めたのが薪代と照明代、蝋燭や菜種の油は高価で手が出なかったため、鰯やニシンなどの魚油を使用、これらは油煙が臭かったため、夜は風呂へ行って晩御飯を食べたら早目に寝ることになった。 ②枕屏風 安普請の棟割長屋はすき間だらけ、夜寝る時は鼻風邪を引かない様に、枕元に立てかけて北風の侵入を防いだ。昼間は畳んだせんべい布団を部屋の隅に置き、押し入れ代わりに囲って置き体裁を整えた。 ③水瓶、深川辺りは水道設備がなかった為、飲料水はもっぱら「辰の口」からの水売りに頼った。一荷4文、夏はボウフラがわく事もあったので、ひしゃくで瓶を叩いてから飲んだ。 ④へっつい、石や瓦を泥で積み上げた竃(かまど)今でいうガスコンロ、長屋の住民は薪で朝に一日分を一度に炊き、それをお櫃に移し昼、夜と分けて食べた。 ⑤箱膳、一人一人の食卓テーブルである。茶碗、御椀、箸などがセットで入りその都度使用したら、沢庵を箸で挟んで茶で綺麗に茶碗の内側を洗い、その茶を飲み干して箱膳に戻し、次回またそれを使用した。横着ではなく飲料水の貴重な地域では、必要善の節約であった。またその食材は勿論和風、脂こい食材は余り使われなかったので、この方法で用は足りたのである。衛生上の観点から2~3日で、じゃぶじゃぶと洗ったのは云うまでもない。「九尺二間に 過ぎたるものは 紅のついたる 火吹き竹」男やもめに若い、健康な嫁さえくれば、九尺二間は江戸のスイートホームであった。
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