<江戸グルメ旅>江戸佃風物詩 ①「白魚、佃煮、夏祭り」

 <佃島誕生秘話History> 

 「江戸風物詩」白魚漁と味自慢佃煮、三年の一度の住吉神社の夏祭りの舞台となる佃島は、正保元年(1644)に鉄砲洲沖の寄州に築島された人工の島である。上流北側の石川島が、長い間に隅田川の川砂が堆積した自然の島とは成りたちが異なっている。江戸時代、大川と呼ばれた川の空間に、何故島が誕生したのか?その理由は家康と佃の漁民たちとの経緯、関りがある。築島に使われた「しがらみ」のように、入り組んだものがある。

 第1のきっかけは、天正10年3月(1581)天目山の戦いで、織田徳川連合軍は宿敵甲斐武田を破った。家康は信長の誘いで京、堺を外交、視察、商談etcの目的で廻っていた。この饗応、接待役を勤めたのが光秀である。家康、住吉大社の参詣に大雨で神﨑川が渡れなかった。この際に舟を提供してくれたのが佃の漁民たちであった。滞在中の6月に突如起きたのが、時は今の「本能寺の変」である。切腹まで考えた家康であったが、小人数の一行は服部半蔵の勘働きで「伊賀越え」を敢行、無事駿河へ戻る事ができた。この時点で自国に居れば家康の天下はもっと早く実現した可能性はある。それから30余年、家康は豊臣政権壊滅の為、慶長19年(1614)大坂冬の陣、元和元年(1615)夏の陣を起こす。佃の漁民達は、大坂城へ西国大名たちや物資の流入を阻止するため、大坂湾の監視や密使の役を担い、併せて魚好きの家康の為に魚貝類を献上、これが江戸へ招かれる第2のきっかけとなる。幕府側も漁民たちの対応を考えていた。江戸に幕府を開いた家康であったが、まだ草創期、いつ反乱分子が江戸湾へ侵入、江戸城を攻撃するか予断を許さない。そこで江戸湾で漁をさせながら海上の監視に充たらせた。今でいう海上保安庁の役目である。現在のイージス艦ではないため、防止能力は無い、あくまでも監視である。後の仕事は海賊奉行、御船手頭向井将監の仕事である。また、本来の漁民としての役割として、漁獲方法の改革である。当時の漁は沿岸というより、浜辺近辺での小規模な漁法であった。これを西国の佃の漁民たちの投入によって、浜辺から沿岸、少量から大量への改革を試みた。

 摂津国西成郡佃村、大和田村の漁民たちが、江戸へ招かれた時期については二説ある。「日本橋魚市場沿革紀要」によると、天正18年(1590)家康入府の際に共に従ったきたとされ「佃島年代記」によれば、慶長17年(1612)老中安藤対馬守の呼応に応じて、江戸へ下って来たとある。暫く、小石川網干坂や小網町、難波町六軒河岸などに旅宿、寛永年間(1624~44)鉄砲洲東沖の寄州を拝領、漁の合間をみながら、正保元年(1644)大川の川砂としがらみをもって、築島された島が、「江戸の図に 点をうったる 佃島」である。住民たちは自分たちの故郷の名に因み「佃島」と命名した。拝領した寄州は、満潮時には水面下にかくれ、干潮時にはハゼが陽なたぼっこしている、消えては出、出ては消えるという、まるで冬の幽霊のような土地であった。漁民たちはそれでも自分たちの土地が持てるとあって、懸命に土を盛った。盛っても川の真ん中では歯止めが利かない。浜辺で砂を盛って作られた山が、波にさらわれるのと一緒でる。砂上の楼閣である。そこで考え出されたのが、今でも理論的に通用している「しがらみ」を使う工法である。先ず川砂と牡蠣を潰した粉を混ぜる。この粉が曲者となる。次に木と竹の小枝を相互に編み、倒れない様に内側を銘木で支える。出来上がったフィィルター(防水網)の陸側に、先程のブレンドした砂を塗り固め出来上がる。これを島となる境界に張り巡らし、大川の土を胆念に運び入れ踏み堅めた。これにより、水分を含んだ大川の川砂はこのフィルターを通して自然と川へ戻り、外側の川の水はこのフィィルターの為入り込めないという勝れ者の寸法である。出来上がった土地は公称百間四方、100×100=1万坪、実測95,39×90,40=8623坪、「時鳥 ひと声鳴いて 佃島」の広さであった。

 此処へ当時の沽券図(土地台帖)によると、35世帯の人間が移転してきた。神社や道路、水路etcインフラ部分を半分とし、残りを世帯数で均一に割ると、一世帯約120余坪、神田や深川の庶民の住居である、九尺二間(3坪)の長屋に比べれば、如何に川向こうとはいえ、広さ、陽当たり抜群、而も借家ではなく、自分名義の土地である。これより370余年、佃の歴史は始まる。翌2年には、前回オリンピックが開催された昭和39年まで続いた隅田川最後の渡し「佃の渡し」が始り、3年には故郷佃の住吉大社を分祀、佃の祭りが始り現在に至っている。JR東京駅から直線2㌔、石川島(佃2丁目)には、タワーマンションが立ち並び、ここ元佃(1丁目)は、隅田の川凬が体を通り抜ける、江戸と令和がコラボした粋な町となっている。(第2節につづく)




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