5 椋鳥一茶江戸へ跳ぶ ②江戸の椋鳥たち
オリンピックが開かれる筈だった、2020もあとわずか。今年は新型コロナが、新春早々から初舞台を踏み、あれよあれよという間に世の中を蹂躙、今や悪役No1の役を演じ続けている。御蔭で人間様はコロナの御気嫌をを取り取り、GoToといいながら、あっちへ行っては駄目、こっちへは来るなと云われ、宴会も駄目、親しい人との密も駄目と、人間本来の生き方を否定された1年であった。結果、取り巻く商売も軒並み赤字、信濃の椋鳥ならずとも、生活の糧となる職を求めて、翔び廻る人々も多かったのもこの1年、コロナの影響で、雇い止めや解雇が後を絶たず、ボーナスも半数以上の企業で支給減、若しくはゼロ回答の状態である。
毎日の感染者が500人を超えるのが、当たり前になってきた2020師走、来年1月2月にはその何倍もの数が予想される。これまで残業につぐ残業で、対応してきた医療従事者の方々の御苦労は大変なものがある。一般患者数の受け入れ減少により、病院経営が圧迫され、そこへ働く現場の方々のボーナスも目減りぎみだという。「頑張った結果がこれかよ」と怒りの声が聞こえてきそうだが、それに追い打ちをかける冷たい言葉や仕打ちが、更に世の中を、侘しく寒々しくしている。「あの子のお母さん、病院の看護婦さんだから、あの子と遊んでは駄目よ」「あの人の旦那、医療関係だって、奥さんとは少し距離をおかなくちゃ」こうのたまう皆様は、感染したら何処でお世話になるつもりなのか 先ずそれを聞いてみたい。六文銭が懐に用意されていると云うなら話は早い。
身勝手な明日の読めない人間がそこにいる。江戸の椋鳥達は先を読み、計画性をたてて生活に挑んでいたが、厳しい身分制度や相次ぐ悪鋳による慢性インフレ、風水害に冷害に飢饉、あげればきりのない自然災害と人災によって、その計画、段取りはもろくも崩れさるのが常であった。常に崩れされるが、それはそれ、そこはそこ、江戸時代に生きた人間である。持ち前のしぶとさと気風で乗り越えていった。信濃の一茶もその一人、里の霜が降りる晩秋には畑仕事を手仕舞して、家の事は奥さんや子供たちに任せ、来年が仮に不作であっても最低限食べていけるように、村の男たちと集団で江戸へ出稼ぎに出掛けて行った。野麦峠を越え、小仏峠を越えて、集団で江戸へ江戸へとやってくる彼らを、江戸の人間たちは「椋鳥」といって、さげすみ馬鹿にした。馬鹿にされるいわれはない。ただ、生れた場所が少々ズレただけの話である。いつの時代、いつの世にも、自己の才能、力量をさておき、ただ自己の生れ、居場所をもって奢り、高ぶり、勘違いをしている人間は多い。コロナの現代に、身勝手に生きる我々東京人と、苦しい環境の中でもしぶとく、明るく生き抜いた江戸人を重ね合わせ、「椋鳥一茶」を通して、江戸人はどの様に、立ち向かったのであろうか?こんな川柳も詠まれた。「椋鳥は 江戸の嫌がる 仕事やり」
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