ロ 江戸の地名のつけ方は

日本列島は高い山々が連なり、そこから流れ出ている川が、谷をつくり平野をつくり、海に注いでいる.従って日本には、山、川、島、坂、池、森、林、石など自然の地形を表わす地名が多く、人が住む地域には、村、田、橋、船などの地名が発生してきた

 地名や町名は、その土地に刻まれた人々の歴史であり生活である。それぞれに意味をもち、その土地特有の歴史や風土、自然や生活を物語っている。また、地名を新しくつけようとする時は縁起がよく、将来その地が発展するような言葉が選ばれたのは自然のなりゆきである。

 七世紀の奈良朝廷は、それぞれの地名の表記を「佳字二字に当てよ」としている。つまり優美でかつ縁起のよい二字で表現しなさいと指導している。例として我々江戸っ子の住む町 江戸は「无邪志(むさし)」という字があがわれていた。みるからに縁起の悪い字句である。このむさしを「武蔵」に改めた。武士政権都市の名称誕生である。他にも佳名や願望としてつけられた、初音町や相生町、豊かな生活を望む大富町など富をつける町名も多くみられる。

 江戸周辺の東国の武士達は、京都がまだ政権の中心であった頃は坂東武者と呼ばれていた。この「坂東」という名称は何処からきたのであろうか。答えは、箱根の足柄峠から東海道を東に越えた地域、つまり峠の坂を下った東の地域が坂東、加えて関東平野を流れる大河は坂東太郎である。

 因みに東山道(中山道)を、碓井峠から東へ下ると「山東」と呼ばれる地域であり、関八州は箱根の関所から、東の武蔵、相模、安房、上総、下総、常陸、上野、下野の八ヶ国を指し、関東郡代の管轄となる。

 

 東京環状線の呼び名は山手線 以前はやまて線と呼ばれていたが、現在は山の手と「の」の字が入る。この山の手と下町、同じ江戸でもイメージが異なる。ざっくり分けると江戸城の西側、関東ローム層がかぶさっている武蔵野台地、崖や坂でイメージされる山の手、東京でいうなら杉並、目黒、世田谷界隈、この地域では山とか丘のついた地名が多い。

 一方下町と呼ばれる地域は、勿論我等「江戸っ子」が住む江戸城の東側「城下町」歴代将軍が自前,次いで天下普請で造られた土地であり、堀割、橋、蔵でイメージされる江戸発祥の地。神田、日本橋、京橋に代表される地域で、島、橋、川のついた地名が多い。山の手と下町をつないでいるのが坂である。

 おもしろいのは町というひとつの字を「マチ」「チョウ」と訓読み、音読みと読み方が変わる事である.一般的慣例として地形や位置からつけられ谷町、台町、また武家地や役職上ゆかりの御徒町、小川町、信濃町は「マチ」と読み、青物町、鍛冶町など町人地や、職業にゆかりのある町は「チョウ」と読まれる事が多い。

 また、例外的に将軍様の護衛隊、番方が住んでいる町、番町はチョウ、逆にその南の麹町、北の九段下は飯田町はマチと呼ぶ。更に日本橋界隈に足を伸ばしてみると通り町筋はチョウ、その中心地室町はマチ、神田へ足を進めると須田町はチョウとなる。地元の江戸っ子でも迷う江戸の町名、府外からおいでになった在の人々にとって、なんともややっこしい町であった、江戸は。

 

 

 

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