「大江戸酒物語」Ⅱ 江戸の酒造り
酒は「醸造酒」と「蒸留酒」に大別される。醸造酒には日本酒などの「穀物酒」とワインなどの「果実酒」に分けることができる。一方、「蒸留酒」にはウイスキー、ブランデー、焼酎などが含まれる。日本酒は味噌、醤油などと同じ発酵食品で、主に米、米麹、水から造られる。米麹中の酵素により、米の中の澱粉質が分解され、清酒酵母によって糖が発酵されてアルコールになる。糖化とアルコール発酵が同時に進むことを「平行複発酵」という。果実酒であるワインは、原料の葡萄が糖質に富み、葡萄の皮に糖分をアルコールに分解する酵素が付着しているため、発酵は比較的容易であり「単発酵」と呼ばれている。一方で穀物酒である日本酒の場合は、穀物の澱粉を糖質に変化させる必要がある。日本など湿度の高い東アジアの地域では、微生物の酵素を使って発酵させている。また、乾燥地帯である西アジアやヨーロッパなどの、澱粉を糖化した後に発酵を行うビールは「単行複発酵」と呼ばれ、麦芽の酵母を用いて糖化している。
更に日本酒は以下のようにも分類できる。①日本酒の醸造に使う蒸米も麹米も「精白米」を用いた清酒を「諸白」➁蒸米が精白米で麹米が玄米である場合は「片白」③蒸米、麹米とも精白米でない清酒を「並酒」と呼ぶ。以上が比較的品質のよい米で造られた「清酒」と呼ばれる日本酒であるが、小米や砕米など悪米と称された米を使って造られた酒を「濁(にごり)酒」という。濁酒は日本酒の製造過程で、醪(もろみ)を濾過せず、白く濁ったままの米粒感が残るものを、平安時代には「獨醪(だくらう)」と呼んでおり、それが転訛して濁酒を「どぶろく」と呼ぶようになった。さらに、どぶろくを静止させて上澄みと沈殿部の中間をくみ取ったものを「中汲」といい、白濁しているが米粒感はない。因みに、清酒を絞ると最初に絞り落ちる酒と後からの酒は味が違ってくる。中間で落ちてくる酒は味と香りのバランスがよいとされ、現在ではそれを中汲としている。濁酒は製法も簡易であったため、価格も安価であった。従って、販売用としてではなく、もっぱら自家用として造られていた。濁酒は清酒に比べ発酵が進んでおらず、酸味の強い荒い酒であったが、農作業においてその疲労回復を補う効能があり、栄養補助食品的効果があるために、農民たちにとって生活必需品となっていた。
日本酒造りは大きく分けて、三つの工程 ①麹造り(製麹)➁酛(もと)=酒母(しゅぼ)(アルコール発酵に欠かせない酵母を純粋培養して大量に造り出すのが酒母)造り ③三段仕込み(造り)となる。日本酒は米粒に麹菌を育成させ、散菌を造る独特の技法で、味噌や醤油などの製造にも使われている。①麹造りは、先ず精白した白米を水に浸け(浸漬)、これを蒸して蒸米にする。これを麹室に入れ台の上に広げて種麹を全体的にふりかける。振り撒かれた麹菌は米の表面に付着、菌糸を米の内部に伸ばしていく。この菌糸の生かし方が杜氏の腕の見せ所となる。菌糸の先から出る糖化酵母が、米の澱粉質を徐々に糖分(ブドウ糖)に変えていく。現在では麹造りは機械によって作業されているが、今でも吟醸酒などの高級酒では手作業で行われていることが多い。二昼夜48時間を経て麹が出来上がる。この麹菌、学名は「テスベルギリス・オリゼー」と呼ばれる麹菌は日本にしか存在しないと云われている。②酛造りはアルコール発酵の主役である酵母を純粋培養して、健康な状態で大量に増強させる工程で、麹に水と蒸米を加え、1週間以上かけて出来上がる。酛(酒母)造りには、㋑江戸時代丹波の杜氏が確立し、多くの微生物がいる自然環境の中で、天然の酵母菌が入り込み、糖分を栄養素にして増殖していく「生酛造り(現在約5%の蔵元で活用)」と ㋺明治42年に開発された「速醸(95%)」と云われる市販の乳酸菌を添加する方法がある。日本酒の製造過程で、生成されたアルコールにより死んだ酵母が雑味の原因となる場合もあるが、生酛造では酒母の発酵力が強いため、仕込み末期でも健全に発酵が進み酒に雑味がない。生酛造りの酒はコクがあり、燗酒にするとさらに味わいが膨らんで旨くなる。これを「押し味」という。一方、乳酸菌で速醸された日本酒は、生酛造りと比べ淡麗ですっきりとした味に仕上がる。③出来上がった酛=酒母を桶に入れ、次いで麹、蒸米、水を加えて「醪(もろみ)」を仕込んでいく。安定的なアルコール発酵を促すために、3回分を4日に分けて仕込んでいく。これを「三段仕込み」という。約1ケ月半ほどで醪は酒として絞れる状態になる。三段仕込みが終わった時点で、酒のアルコール度数は18度以上になっている。酒母は自ら生み出したアルコールによって死滅していく。日本酒は酵母という微生物の働きによってアルコール=酒が醸造されていくが、江戸時代は微生物の働きについての知識がなかったため、杜氏たちは長年の経験や研ぎ澄まされた五感によって、自然の力を利用して旨い日本酒を造っていった。
発酵を終了した醪を袋に入れ、「酒船」という圧搾機に積み重ねて絞っていく。この作業で醪は清酒と酒粕に分けられる。醪を絞っただけの原酒のアルコール度数は20~22%、因みにワインは14%前後。一般的に20%の濃度では細菌類は生育できないが、日本酒は出来上がってから乳酸菌(火落菌)の侵入を受け、夏に向かって腐り易い状態になる。このため「火入れ」を行う。現在では絞った日本酒を熱湯に包まれた管の中を通しているが、江戸時代は釜の中に酒を入れ、直火で殺菌を行った。温度管理は煮ている酒に手を入れて、体感で測ったという。江戸へ出荷する日本酒は50~60℃で火入れた。この温度は現在でも同じである。火入れで有害な微生物を殺し、残存している不純物を除き、酒の香味を調整した。しかし、それ以上に加熱するとアルコール分が蒸発、香味のバランスも崩れた「煮殺し」になってしまうため、この作業にも杜氏たちの長い熟練と鋭い五感を要した。この火入れ方法は、種痘法を開発したパスツールが、1865年、わが国では幕末の慶応元年長州征伐の頃であるが、ワインの腐敗防止策として考えた。日本の杜氏たちはそれより360年前の16th初頭、戦国時代に入ったばかりの時代に考えついていたことになる。火入れ後調整、加水して商品となった。火入れなしの酒を「気酒」、加水してない酒を「原酒」という。冷蔵庫もないビン詰もしない時代、酒を長期間安定的保存することは容易なことではなかった。それには何度も火入れをした。それでも変質した場合には、草木灰や蛎殻の灰を加えて酸を中和した.。これを「直し薬」といった。安定して旨い酒を呑むために先人たちの苦労は並み大抵のものではなかった。さて、いよいよ丹精込めて造られた下り酒が、吉野杉の4斗樽に詰められ、江戸湊に下ってきます。 「チーム江戸」 しのつか でした。
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